マラソンと僕のできること
僕はマラソンをやります。といっても年に1回レースに出る怠け者ランナーですが、かれこれ7年くらいやっています。
はじめてレースに出たのは2004年のホノルルマラソンだったと思います。ジョギングをはじめたとき、3日坊主で終わらないために、自分にはっぱをかけるために、「ホノルルに行くぞ!」と周りに宣言したのでした。
はじめてのマラソンの目標は、5時間を切ること。練習中のひざの故障なんかを乗り越えて、なんとかホノルルにたどり着きました。
結果は5時間をギリギリきったのですが、ひどく辛い体験でした。目標は達成できたのですが、自分でまったく納得がいかなかったのです。30キロで走れなくなり、あとは歩いてなんとかゴールするのが精一杯でした。
そんなことじゃ悔しいので、また挑戦するんですが、それから何度も失敗するるわけです。どうしても納得いかない。
どうしたら納得のいく走りができるのか。満足するマラソンなんて本当にできるのか。悩んだ末にたどり着いた答えは2つありました。
ひとつはしっかりと練習すること。自分が納得するために必要だと思われる練習量を割り出して、それをしっかりこなすこと。当たり前のことですけどね。練習時間を思うように取れない中で、納得のいく走りと練習量の関係を理解するのに時間がかかったわけです。
ふたつめはレースで自分の力を均等化すること。つまりスタート直後は元気だからスピードを上げちゃうんじゃなくて、はじめは力を抑えて最後までイーブンペースを守ることです。自分のいま持っている力を冷静に分析して、配分を決めるわけです。
2つの考えにもとづいた会心のレースは2009年の那覇マラソンでした。3時間23分でほぼ最後までペースを落とさずに走りきれました。そのときの持つ力を100%引き出せた納得のいくレースです。ようやく苦しいけど楽しいマラソンにたどり着いたわけです。
今回はマラソンの話をしたいとおもったのではありません。大震災の話です。僕は昨日ようやく読書ができるようになり、今日ようやく文章書く気持ちになりました。あの震災から9日。
この9日間は、そして今も、被災した人たちに対して自分が何ができるのかということと向き合ってきました。自分の立場でできることをたんたんとやるしかない。そんなことはわかっているけど、いまだに納得のいく答えは出ません。
ただ、ひとつだけ。7年前に「ホノルル行くぞ」と宣言した自分のようにここで言っておきたいことは、苦しいけれど納得のいくマラソンをするのと同じように、自分のいま持っている力を、これからはじまる被災地の長い復興の道のりに、継続して使っていきたいということです。
これからだんだん報道も少なくなり、日常生活に戻りながら次第に被災地のことを忘れる時間が増えると思います。そんな中でも僕はイーブンペースで自分の納得のいく支援をし続けたいと思います。
神戸で最後に仮設住宅を出た人は阪神大震災から10年後でした。
柄でもないですが、前を向いて走りましょう!