企業DNAについて思うこと。

企業には創業時から脈々と受け継がれるDNAがあると思う。経営ビジョンのように言葉にはならないが、企業細胞の奥深くに組み込まれたデオキシリボ核酸として決して表には現れることなく、企業経営や仕組みづくりに大きな影響を及ぼしていく。

もちろん、企業が成長していくためにはどんな市場でビジネスを展開するのか、財務戦略はどうなのか、マーケティング戦略はうまくやれるのか、そういうことが重要であることは間違いない。けれども決して表に出てこないこのDNAが企業の中でしっかり増殖し、創業者が目指す世界感に近づいているのかどうかということが、企業が成長するためにかなり重要なのではないかと思う。

企業DNAは創業者が何を一番大切に考えているのか、いやもしかもしたら創業者すらわかっていない何かによって規定される。これを失うと自分がこれから立ち上げる事業が生き残ることができないのではなかという危機感のようなものから生まれるのかもしれない。創業者が生まれてから起業するまでに、様々な体験を通して感じてきたことから自然と湧き出るようなも、創業者自身の出自までさかのぼるアイデンティティなのかもしれない。

例えば、ぼくが楽天という会社のDNAを無理やり言葉で表すとしたら「営業」だと思っている。MBA出身者も多く、戦略的なM&A中心に企業規模を拡大してきた同社をみると、営業からはほど遠いマーケティングや財務に長けたインテリ企業であると思う人も多いと思うが、僕自身はこの会社はコテコテの営業会社だと思う。楽天市場の立ち上げに求人雑誌をちぎって来る日も来る日もしらみつぶしに電話営業をしたり、営業は椅子に座らずに顧客の電話を受けるなど、なぜ、三木谷さんはこの「営業」という行為に徹底的なこだわりをみせるのかということがすごく気になっている。「コテコテの営業」が企業が成長するために最大の武器になっている。それは技術やマーケティングを超えていると思うのである。

こんなことを書くと「営業」なんてどんな会社も同じように重要視しているじゃないかといわれそうだが、この「DNA的こだわり」を感じるのは、そんな一般的な営業志向とは違って、もっとべっとりした濃厚なものである。あらゆるものを犠牲にしてもこれだけは外せないという強い意志が憑依しているようなものだ。

もう1社例を挙げよう。サイバーエージェントという会社は、今や押しも押されぬメディア企業となっているが、創業者の藤田さんがはじめた広告代理店事業がベースなっている。藤田さんの著書にも詳しいが、彼は創業前から営業力に自信を持っており、また同社はその若さと営業力でその会社の規模を拡大していった。周りから見ると、多少問題があってもゴリゴリと押し込んでくる営業会社というイメージが強かったのではないだろうか。けれども、ぼくは同社の企業DNAは間違いなく「採用」だと思っていた。同社がメディア企業へと脱皮していく過程を見ても、金融やゲームという新しい分野に進出していくエンジンとなったのも、この「採用」に対するこだわりだ。これは藤田さんが創業前に人材派遣会社に在職したということもあるかもしれないし、それ以前の職業体験で「優秀な人と仕事をしないといけない」と思わせるようになる何かがあったのかもしれない。どんな会社も「人材が最大の資産」ですとか、「採用に力を入れています」とか言うと思うが、藤田さんのこだわりはぼくから見ると到底そんなものではない。

楽天サイバーエージェントとくれば、もう1社この2社より先に上場していた熊谷さん率いるGMOインターネットのことを考えないわけにいかない。先日50歳になられた熊谷さんの若さには目をみはるばかりだが、この会社のDNAを挙げるとすると、ぼくは「ビジネスモデル」ではないかと思っている。プロバイダー、レンタルサーバー事業など安定して収益を上げてきたビジネスは、すべてストック型だ。つまり顧客が一度サービスを利用しはじめると、時間がたつにしたがって収益が上積みされていく。さらに注目すべきは熊谷さんが最初にはじめたダイヤルQ2を利用したプロバイダー事業や世界規模で展開するドメイン管理事業など、関所的な利権を上手にとらえて確固たるビジネスモデルを立ち上げている点だ。熊谷さんの中には「どのようなビジネスモデルで利益を生み出すのか」ということに対する強いこだわりを感じる。消費者金融だけは不幸な政策変更があり、足踏みしたわけだが、圧倒的な収益基盤を築いてる現状を見るにつけ、熊谷さんのこだわりはDNAと化しているのではないだろうか。

この3社はいまも現役で創業者が経営をする企業だからこそDNAを強く感じるわけだが、ホンダの「技術」とか、トヨタの「改善」とか創業者から脈々と流れる何かを持ち続けている企業は多い。逆に何がその会社のDNAなのかわからない企業は市場からの撤退を迫られていると思う。


じゃあ、お前の会社はどうなんだといわれそうなので、うちの会社のことも少しだけ書き加えておく。うちのDNAは、たぶん「ネットワーク」じゃないかと思う。ぼくは20年近く前に共同創業者と一緒に「インターネットにお店を持つ方法」という著作を出版している。この本のあとがきに「ネットワークを利用することで、通勤時間をなくし、遠距離勤務を可能にし、子供や家族と過ごす時間、趣味の時間を増やそう」と記しているのだが、この考え方はネットに初めて触れたときから今まで一貫して持つ続けている。「ネットを活用していかに人間の幸せを引き出すか」というような考え方だ。「ネットワーク」という道具へのこだわりだ。もう一つ付け加えると、もともとぼくが怠け者だということもかなり影響しているのかもしれない。どうやって「他人より短時間で、たくさんの仕事を実現するか」ということをいつも考えてきた。その中で「インターネット」との出会いはそれを実現するツールとして衝撃的だったのだ。

ぼくがたまたまパソコン通信からインターネットに移行していく90年代、コンピュータやソフトウェアの広告の仕事をしていたことも関係しているかもしれない。コンピュータやネットワークを使うことでよくなること悪くなることを目の当りにさせれた。また自分でも「この道具をどう使うべきか」といつも考えてきた。スコット・マクネリが「network is computing」と語り、ビル・ゲイツが衛星ネットワーク構想で失敗するような時代、「ネットワーク」がいかに人々の生活を豊かにするかということにも大変興味もあった。

1999年、ぼくは知り合いのオフィスに机を一つ借りて、仲間4人で会社を登記した。それから6か月、その机に坐ることはなかった。事務所にも数えるほどしか行かなかった。必要な仕事はほとんど喫茶店とネットワークでした。半年後に恵比寿にオフィスを持った。けれどもそこもオフィスというよりミーティングのためにときどき集合するような場所だった。そのころのぼくたちに必要だったのは仕事を効率的にサポートしてくれる「ネットワーク」と「新しい事業を作り出してたい」という強い意志だった。だから洒落乙なオフィスも受付嬢も興味はなかった。14年の月日が流れて今はさすがにオフィスと言えるような場所がある。けれども相変わらず立派なオフィスやすごい社食とかあまり興味がない。そんな理由で集まるスタッフと仕事をしたいとも思わない。必要なのは「ネットワーク」だ。そしてそれを徹底的に道具として使い込もうという意思(DNA)だ。

先日、創業にビジョンは必要かという記事をどこかで読んだ。ぼくは創業時にビジョンなんてものはいらないと思う。取ってつけたようなものあっても仕方ない。けれどもこの自分の作る会社のDNAだけはしっかり考えるべきだと思う。できれば、これがなくなったら自分の会社でなくなってしまうというようなもの、その一点で誰になんと言われようが突き進む強さのようなものが。

@ankeiy