もしもメッシがサラリーマンだったら夏はTシャツ、短パン、ビーサンで仕事に行くだろうという話。

子供のころ、アルゼンチンっていうのは、男だけの国だと本気で思っていました。「あるぜ!ちん!」嘘です。ところで、ワールドカップ・ブラジル大会、観てますか?盛り上がってますよね。アルゼンチンが久しぶりにベスト4に残りましたね。この前ニュースで言っていたんですけど、メッシって、キーパーより動かない試合があったそうですよ。すごいですね。グランドの中でほとんど動かくなくても攻撃の起点になり、ボールにワンタッチすることで局面を変えてしまう。もちろん、ドリブルとかスピードとかもすごいんでしょうけど、この効率のいいプレイにしびれちゃいますよね。

日本代表にもメッシのような選手がいればいいですよね。アルゼンチンがうらやましいですよね。でも、それでちょっと思ったんですけど、メッシのような選手は日本のチームには受け入れられないんじゃないかって気もするんですよ。だって日本の選手ってとにかく走らないとダメじゃないですか。岡崎も本田も香川も攻めたら守る、とにかく走って走って走りまくるって感じで。これ昔からそうですよね。「北澤走れー!」みたいな。とにかく必死になってがんばっている選手は評価されるけど(もちろん、結果が必要だけど)、メッシのようにパスだけで局面を変えるような選手は日本だと居心地悪いんじゃないかなと。「いや俺もがんばって一緒に走らなきゃ」とか思っちゃって。そういう選手って育たない土壌なんじゃないかと思ったわけです。

先日、TV見てたら、日本の変なところとして、外国人が「なぜこんなに蒸し暑いのに、日本のサラリーマンはスーツなんか着るのか」とか指摘していました。(まったくわかってないこの外国人。日本人が仕事が終わった後、いかにうまい生ビールを飲もうと日々努力しているのかw。)確かに、最近ではクールビズ上着を着る人の数は減ってきているかもしれないですが、まだまだお客さんと会うときは上着を着ないと失礼だとか、なんか落ち着かないとかいう、わけのわからない理由で暑いのを我慢して上着を持ち歩いている人も多いですよね。ぼくがサラリーマンしていた20数年前は当たり前のように夏でも汗染みいっぱい作りながらみんなスーツ着ていました。東京の地下鉄はまだ冷房入ってなかったんですよ。とにかくみんな汗をかいていた。今考えると、そう、まさに「がまん比べ」ですね。じわじわ熱湯甲子園ですよw。会社の先輩に、どんな暑くても決して上着を脱がない伝説の男がいました。女とホテルに入っても脱がないんじゃないかという噂でしたw。ぼくはその先輩を見て「あー、なんか、かっこいいなあ」なんて思ってしまいました。みんな夏の暑さでどうかしていたんでしょうかw

そう、ときどき「がまんってかっこいい!」って思えてしまう瞬間があるんですよね。どんなに苦しくても我慢して走り回るサッカーも、炎天下で一日中野球の練習をしている高校生もw、暑い夏の日に着るスーツも、そんなふうに「がまんしている人」=「クール」って思う人達によって支えられているんじゃないかと思うんですよね。そしてこの感覚、結構、日本人特有なものだったりするかもしれないですよね。だってマラソンや駅伝が昔からすごく人気高いじゃないですか。まさに「がまん」を体現したスポーツですからね。特に、駅伝は仲間のために自分を殺して我慢を重ねる姿がより崇高に見えるんじゃないですかね。

この「がまんの美学」ってどこから来たんですかね。根性アニメーション?空手や柔道などの修行?それとも武士道の「切腹」からですかね。いずれにしても近代日本において、「自分を押さえてがまんすることの美しさ」はあらゆる文化・社会に対してすごく大きな影響を持ってきたんじゃないかなと思ったわけです。
「お国のために戦争に行くとか、戦争で子供を失ったことを誇りに思うとか」こうしたイデオロギーに抑圧された嘘のがまんの美学じゃなくてね。ぼくが思っているのは「心の底から美しい」と思ってしまう。それはまるで美しい花や綺麗いな女性を見たときのような、そんな感覚で、「がまんすること」をかっこよく捉えてしまっているのではないということです。

そんな時、ぼくがツイッターでフォローしている藤沢数希さんのつぶやきが目に留まりました。

藤沢さんの考えでは「勉強は成功や地位に結びつく可能性が高いから足を引っ張ってやろうとしているのではないか・・」と、これまた藤沢さんらしい指摘なんですがw、これが正しいかどうかは別として、ぼくはやはり「がまんの美学」と関係しているのかなと思いました。というのも、勉強って頑張ると、自然といい大学やいい会社に入れるという平等さという共通理解じゃないですか、努力が報われるという。がまんして頑張るって感じが薄いんですよね。つまりあまり美しくないんですよ。ところが、スポーツや芸術って評価される人ってのはほんの一握りだから、その他大勢は、どんなに努力してもほとんど金にならない。出世できない。そしてそのことをみんな知っている。そこに「がまん」「耐えしのぶ」「辛抱する」という美しさが生まれる。

この前、とある会社の社長さんと残業をどうしたら会社から追放できるかという話をしていたときに、こんなお話がありました。その会社に毎日残業しているスタッフがいて、まじめなスタッフで献身的で周りからも評価されていたらしいんですけど、とあるきっかけで配置転換があり、そのスタッフのポジションに別の人間がついたら、なんのことはない、以前よりはるかに実績が上がって残業もゼロになったそうなんですよね。

前任の残業の多いスタッフが、残業代欲しさに仕事をしていたかどうかわからないですけど、この話を聞いて、日本の企業には残業という自己犠牲を払うことやがまんをすることで、満足したり、評価されている人が大勢いるんだろうなって思ってしまいました。

でも、やっぱりイノベーションっていうのは「がまん」していると決して生まれないんですよね。がまんの美学からは。どうやって「楽にするか」「手を抜いても同じことができるか」ってことを考えないと、いつまでたっても生産性が上がらない。日本代表のサッカーチームがそれで強くなるかどうかわからないけど、日本社会全体がそういうことについてちょっと深く考えるタイミングに来ているんじゃないかと思いました。

願わくば、歩きづらいタイトなミニスカートやハイヒールを履いて歩く女性の「がまん」だけはぜひ続けていただきたい。

@ankeiy