学歴と見栄とFacebook

入試カンニング問題盛り上がっていますね。ワイドショーで沢尻エリカもたじたじの扱いです。ことの顛末はさておき、このカンニングをしてしまった受験生が、きちんと反省してしっかり再起できることを切に願いますよ。

しかし、この入試問題、いわゆる三流大学でおきていたらこんなに騒がれましたかね。天下の京大や早稲田で発生したことが大騒ぎされている一因ではないでしょうか。そう考えると、日本(少なくともマスコミ)はほんと学歴思考なんだなと再認識するわけです。


昔、銀座で小さな広告代理店に勤めていたとき、よく電車の中や街で大手広告代理店D社の社員の方にお会いしました。なぜ、D社の方とわかるかというと、彼らは燦然と輝く社章を胸につけていたわけです。「俺は天下のD社の社員だぞ」という感じで。それを見て「いいなあ」と思ってしまう自分がいて、いやいや「人間バッチじゃないぞ」と元気づけるもうひとりの自分もいたわけですw(今も社章はあるのでしょうか?)


先日、うちの小さな会社でも名刺に肩書きをつけるかどうかということが議論になりました。何か偉そうなかっこいい肩書きがついていると営業に威力を発揮するのではないかというのが始まりです。

僕はそんな肩書きで仕事が選ばれたり、選ばれなかったりするくらいなら選ばれないほうがいいって立場なんですが、自分が営業に出ていないのによく言いますよね。


フェイスブックがずいぶん普及してきていて、日本でも実名登録の問題が話題になっていますよね。米国では履歴書のように使う人や企業も多く学歴やキャリアもしっかり記述しているようです。

個人的には実名でもそうでなくてもかまわないんですが、このフェイスブックのカルチャーが日本にひろがったら、しぼみつつある学歴社会や見栄社会を応援してしまわないかちょっと心配です。

ネットでは、「その人の考え方への共感やこれから何をしようとしている人か」という文脈でつながりたいですね。