Twitterとトンカチと僕の関係
Twitter至上主義といいましょうか。ネットに振り回されぎみの方が増えてきているようなので僕がココでひっそりと釘を刺しておきますよ。奥さん。「あたりさわりのないように」
Twitterをはじめとするソーシャルメディアは確かに僕らの情報流通に大きな変化をもたらしました。311以降の状況を申し上げるまでもなく、あの大震災でもダウンすることなく、著名人を中心に刻々と情報が拡散され、以前なら無視されてしまうような小さな善意や行動が大きなうねりに変わる可能性を僕たちに示してくれました。
中にはメディアの縦列が変わったとおっしゃる方までおります。TVや新聞よりネットが上になったと。
こういう論調は確かにそうだなとさらっと流されちゃってます。
けれども僕は既存のメディアとネットを同じ土俵で考えるのは危険だと思います。当たり前のことなんですけど、既存メディアってのは世論の形成も含め一方的に僕らに送りつけられてきたわけですよね。
ところがネットってのは「これが知りたい」とか「こういうことをしたい」という目的があってはじめて機能する極めて能動的なメディアなわけですよ。
話をわかりやすく短くするために大胆にたとえてしまいますよ。既存メディアってのは僕たちに「家」を提供してくれているように思うんです。ツーバイフォーだとか外断熱だとかいろいろな種類がありますが、編集というフィルターを通して今の時代にはこんな家に住んだらいいんじゃないかと。(だから既存メディアがすばらしいと言っているわけではないですからね。なんたたって僕はネット側の人間ですから(笑))
一方、Twitterを象徴とするネットは、「トンカチ」だと思うんです。家を作る道具です。これがないと家はできませんが、所詮道具です。僕がちょっと違うんじゃないかなと思うのはこの道具を家と比べて「すばらしい」とか「私はこれがなければ生きていけません」みたいなワラ。四六時中トンカチを握り締めて生きていくようなものです。そんな人怖いですね。
しまいには人(経済)の評価価値としてフォロワー数を持ち出す始末。(O先生、すみません他意はありません。あの本はパラダイムシフトを示す価値ある本です)もちろんチャーリーシーンのように260万もフォロワーがいたら映画に出れなくても一生生活できると思いますが。
道具ですから、必要なときに必要なだけ使えばいいです。たとえば情報を拡散したいとき。今回の中東の革命や震災が証明してくれました。あと、ブレストの価値も高いですよね。他人のツイートを見たりそこに自分がツイートしたりすごくいいアイディアに結びつく現場をたくさん見せてもらいました。
20年ほど前に僕がはじめてMacを買ったときに、いまも尊敬するイラストレーターの方が、「PCは所詮道具だから、道具に振り回されてはいけません」と教えてくれたことを今もときどき思い出します。
奥さん、今回はちょっとあたりさわりのある話かもしれません。