「時間どろぼう」がいるかもしれない件について
ニュートリノが光速を越えることを確認したって、スゲー話ですね。100年以上揺るがなかった物理の常識がくつがえされかもしれないっていうのも面白いし、光より速いので時間をさかのぼれるかもしれないってことはさらに興味深いですね。「時は金なり」なんて言いますけど、もし時間が有限じゃなくなったら、あらゆる価値観が変わってしまいますよね。速いことも意味がないし、忙しい人もいなくなっちゃいますねw。
ミヒャエル・エンデの「モモ」って作品読んだことありますか?時間どろぼうが人々の時間を奪い、それを主人公の少女「モモ」が取り戻す冒険を描いた童話なんですけど、現代人の時間に追われる生活を風刺しているんですね。どんなにお金があっても、それを使う時間がなければ意味がないですからね。でも、無限に時間があればこの物語も成立しないですね。
ある意味、時間ってのはわかりやすい豊かさの象徴ですよね。「暇だなー」なんて人は、何もしなくても食べていけるし、生きていけるなら本当はすごく豊かな状態なんですからね。だから、文明の進歩っていうのも「いかに自由に使える時間を増やすか」ということを目指してきたと思うんですね。たとえば、水戸黄門のころは30キロ進むのに8時間かけたかもしれないけど、今なら車で30分くらいでいけちゃう。つまりこの7時間30分がぼくらが得た豊かさだと思うんですよ。
電話もね。今まで3時間かけて会いにいかないと話せない人と1分で話せる。ネットもね。今まで図書館で2時間必要だった資料閲覧も、検索エンジン経由で3分で調べられる。アマゾンもね。今まで本屋まで行って1時間かけて購入した時間が、2分で買える。こうして時間が短縮できることで、浮いた時間を他のことに回せる。まさに豊かなことだよね。
ぼくもね。30代の前半にネットに出会ったとき、「ああ、これで通勤時間がいらなくなるw」って思いましたよ。自宅で仕事ができて1日往復2時間近くある移動時間を節約できたら、子供と遊んだり、ジムに行ったりいろいろほかのことに使えますよね。だから今でもテクノロジーやそれを利用したビジネスってのは、まさにこの新しい時間を生み出す付加価値を作れるかどうかに真価があると思っているんですけどね。
「Momo」の中で時間を奪う人たちは、時間貯蓄銀行の灰色の人たちなんだけどね。そういう人たちが最近、ネット上で増えてきていませんかね。豊かになった人たちの時間をいただくためにね。人間の進歩を止めることを狙っているエージェントかもw。たとえば、「ゲームビジネス」とか。ネットでゲームを提供している企業は儲かっているんだけどね。いくつかゲームを試してみるとね。疑問がわくんだよね。「このゲームは新しい時間を生み出すのかなあ?」ってね。
もちろん、ぼくはゲーム脳になるなんてばかばかしいことは思わないし、ゲームはテクノロジーを前進させるためにすごく重要なフィールドだとも思っている。ぼく自身、ゲーム端末はみんな持っているしねw。この前知人が、小説や音楽じゃあ、なかなかオタクをヒーローにできないけど、ゲーム作りならそれができるって話をしていて「なるほどなあ」と思いましたよ。ゲームの体験ってもうみんなのコミュニケーションプラットフォームになっているんだよね。
ただね。どんなに人間の心理に基づいていて利益が出てもね(小説や映画のコンテンツならありえないんだけどなあ)。やっぱりゲームを作るなら、消費した時間がその人にとっての投資になるような、そんなアイディアや世界観を持ったものの登場を期待するわけですよ。もし、灰色い人たちばかりなら、いずれ「モモ」に時間を取り戻されるでしょうけどね。文明の進歩は必ず「あるべき姿」になるはずですからね。