「216キロ走ること」と恋愛の関係について

いやー今回は悔しいことに完走なりませんでした。3日目総走行距離140キロでリタイアです。足裏筋が伸びてしまって激痛&ギブアップです。情けない原因は、一言でいうと「コースの厳しさをなめていた」ということですね。相当厳しいと思っていながら、実際にはその厳しさを正面から受け止めていなかった。どっかの政治家みたいですね。

失敗したことを文章にするなんてちょっと気が引けるんですが、一緒に走った二人が完走したことだし、今回の経験が後進(同じことするヤツいないってw)に少しでも役に立てばということで、書き留めておくことにします。ハイ。

前回までのあらすじを読んでない人はこちらで。

初日、二子玉川駅前を午前9時30分に出発しました。いやー暑かったですね。昼近くには30度を越えていたんじゃないですかね。この台風一過の残暑は本当に堪えました。暑い日差しを背中に浴びながら、ゆっくりと多摩川河川敷の北上を開始します。甲州街道国道20号)と交差するまで、約20キロを走りました。そこからは甲州街道に入りそこからはずっとこの道と一緒です。27キロ地点、日野に入ったあたりでコンビニに寄りエネルギー補給。長距離ランの場合、コンビニはオアシスですね。
八王子に入ったあたりで雲行きが怪しくなってきます。ポツリポツリと降り始め、37キロ地点、高尾に入ったときに本降りに。「雨どつく」。午後4時を過ぎたばかりだというのに、既に日暮れのような暗さになってしまいます。不吉な予感が・・・。そんな状況で、いよいよこの日の難関、相模湖に抜ける大垂水峠越えがはじまるのです。実際、この峠は歩道が少なくかなり危険でした。昔、走り屋が集まって腕を競っただけのことがある厳しいコースです。大型ダンプがカーブを攻めてくるわけです。「ふざけるなー」と叫んでもはじまりません。身を山側に寄せるような走りが続きます。しかし、この緊迫感とは裏腹に、この峠はラブホも多い。へんてこなデザインとネーミングのラブホばかりです。しかもですよ。ほとんど満室じゃあないですか。車で出てくる何組かのカップルを見たんですよ。中年カップルばかりです。「平日の昼間からふざけるなー」と叫んでも、これまたはじまりません。しかし、この峠の国道沿いのラブホというのはよくできたシステムです。まずなんとなく人目につかない気がします。悪いことをしてもいいような雰囲気です。(ぼくらのようなバカしか歩いていませんからねw)さらに車通りも激しいので、入り口で決断を迫られる感があります。今入らないといけないというか。ああ入っちゃたというか。ラブホに入ったふたりがお互いに「これってしかたないよね」っていう空気を共有できるわけです。なーんて、くだらないことを考えながら走る余裕がまだまだあったわけです。しかし、道路もところどころ土砂崩れしているし。足場も石や枝で相当悪いし。路面には大量に水が流れ出しているし。前日の台風が我々の行く手を確実に妨害します。大垂水峠を越えると、そこからは神奈川県です。ぼくは今朝神奈川の自宅を出発して、50キロ近く走ってまた神奈川県に入るってのはちょっと孫悟空な気持ちです。峠を越えると比較的歩道も多く、安心して走れるようになります。濡れた路面を滑らないように慎重に下ります。峠を下ること6キロ、その日の宿が見えてきます。初日の総走行距離約48キロ、汗と雨でぐちゃぐちゃになりながらのゴールです。


初日の宿は○○○屋という創業70年の古い旅館です。その日の客はぼくたちだけです。実は走っている間も宿のおばちゃんから何度も電話があり、「本当に泊まるのか?」としつこいくらいに確認がありました。走って行くという話しをしてしまったんで、いたずらじゃないかと完全に疑っているわけです。この旅館は建てたときはダムや渓流が見えて景観自慢の宿だったらしんですが、いまや周りの木が育ってしまい、ジャングルの中の一軒家というような様相で、どんな場所にどんな宿が建っているかすらわかりません。まさに時間の流れから隔絶されているような雰囲気です。
ところが、有名人が何人か泊まっていました。山田まりや、夏川りみ沢口靖子稲垣吾郎、この顔ぶれは・・・・何を意味するのでしょうか。まったく思いつきません(すみません)。ただ、なんとなくその顔ぶれは「昭和」ぽいじゃないですか。そうこの旅館は「昭和」を背負って建っているのです。(ロケに来ると泊まるところがないんでしょうねw)
濡れたシューズはボイラー室で乾かし、濡れたウェアや下着は風呂場で洗って乾燥機にかけました。お風呂は温泉なんですが驚くことに最新鋭のシステムが導入されていました。洗い場にシャワーが1つ、カランが3つついているんです。そして、そのどれかひとつからお湯を出すと、他からはお湯がでないというシステムです。結局1つしか使えないわけなんです。なんてエコなんでしょうか。感心しました。
食事の準備をしてくれた仲居の由美子さんは昭和のアイドル伊藤麻衣子堀ちえみを足して2で割ったような顔立ちです。ここまで昭和にこだわった演出をされると言葉もありません。やがて疲れはいやおうなくぼくらを襲ってきます。ということで9時すぎには就寝しました。しかし、長距離ランで興奮しているせいかぼくはなかなか寝つけません。昭和の出来事がぼくの頭の中を次々に駆け巡ります。結局、眠りに落ちたのは午前0時過ぎでした。ロビーにある、ぶっさいくな顔をした鹿の剥製が、一晩中ぼくらをにらみつけているようでした。



翌朝7時に朝食を取り、8時過ぎに出発しました。2日目73キロのランニング。大変な1日でした。まず何がしんどかったかというと、道路のアップダウンです。平らな道などほとんどありません。上ったら下りる、下りたら上るの繰り返しです。この走りが次第にぼくらの足を奪っていきます。あとは田舎道なのでコンビニも自動販売機も少なく水分補給やエネルギー補給がうまくできません。そんな中「軍曹と呼ばれる男S」が次第に遅れてきます。35キロあたりを過ぎると、ほとんど上り坂になります。いよいよこの日最大のハードル笹子峠に向かいます。ゆるやかな坂をのぼり続けると45キロ地点で峠の入り口に差しかかります。ここから甲州街道の旧道に入るわけです。(国道20号線にある笹子トンネルは歩道がなく歩行者は通行できないのでそれを回避です)時間は既に午後5時です。照明のない山道なので、木が覆いかぶさると、そこは既にほとんど夜です。入り口付近で犬の散歩をしていたおばさんが「土砂崩れで通行止めだから通れないんじゃないの?」と心配そうに言います。しかしここをぬけないと「俺たちに明日はないんですよ」なんて軽口たたいて通り過ぎます。その後大変なことになるとも知らずに。


笹子峠はすばらしい林道です。もし、天気のいい秋の日に森林浴もかねてハイキングしたら最高じゃないでしょうかね。デートにもお勧めです。彼女が喜ぶこと間違いありません。(帰りにラブホもあるしw)今度あらためて行ってみたいものです。しかしぼくらが上り始めた峠の顔はまったく違ったものでした。まず問題は2日前の台風の残骸です。木やら石やらが足元に容赦なくころがります。そして、いたるところでの土砂崩れの傷跡、ある程度かたずけられ、土嚢がつまれたりしているのですが、中には道路半分が陥没したり、ガードレールが崩壊、1トンは越えると思われる巨大な落石があったりと、それはスリリングなわけです。
そして、なんといっても最大の恐怖は闇です。入山して1時間後くらいには月も星もなく、まっくらになってしいました。森の木がその闇をさらに深くします。暗くなると足場の悪さが気になって走ることはできません。スマホやケータイの明かりを頼りに歩くことになるわけです。当然電池の残量が気になりますから、頻繁に切ったりつけたりを繰り返します。(途中でドコモもソフバも電波なくなります)ここでぼくは大きな失敗に気がつきます。それは度付サングラスをかけていることです。それもかなり黒めの。まったく前が見えません。かといってメガネをはずすと、近眼でまったく見えません。まさに「行くも地獄、帰るも地獄」という状態です。もっとも今回のプランは夜に対する甘さがありました。明かりのない夜を走る想定をしていないのです(アホかw)「マグライトくらい持ってこいよ」ってぼくはぼくに何度も言いました。数メートル先を歩く「酒豪と呼ばれる男S」のわずかなウェアの白と息遣いを頼りに後を追います。ところが、問題が起きます。歩いていると、ときどき「酒豪と呼ばれる男S」が熊に見えるのです。もともと熊のような男です。これは現実でしょうか。幻覚でしょうか。


暗闇は人間の想像力を豊かにします。つまり見たくないと心で思うものが次第に見えるようになるのです。時々木漏れびから指す薄い明かりに照らされた白い岩肌などが人に見えたりして、それはそれは恐ろしいわけです。もうそこは宮崎駿の世界です。といっても、この時点で歩いているのはぼくと「酒豪と呼ばれる男S」の二人。「軍曹と呼ばれる男H」ははるか後方を1人で歩いているはずです。この闇の中を1人で歩くことを考えたら、一瞬で鳥肌がたちました。「がんばれ、軍曹っ」と少し思いましたが、すぐに忘れました。(軍曹ごめん)このとき既に自分のことでいっぱいいっぱいなのです。

峠の中腹あたりでびっくりする出来事がありました。なんと人がいるのです。それものんきにバーベキューをしているじゃないですかあ。「じゃあぼくらもご賞味にあずかろう」なんてわけにはいきません。そんなことをしたら「俺たちに明日はない」です。話しかけるとどうやら彼らは県の職員で通行止めの道路を監視と整備のために泊り込んでいるようでした。仕事とはいえご苦労さんです。

ふたたび暗闇をくぐりながら峠の頂上を目指します。目が良く見えないとそのほかの感覚が研ぎ澄まされます。特に耳はビンビンです。そこでふと気づきます。「おや、虫の声がしてないんじゃない」と。秋。こんな大自然の中にいて虫が鳴いていないのです。あたりはシーンと水をうったような静寂につつまれています。とにかくこの暗闇の中で何かがおかしいのです。この静寂の中で、ぼくらの足音だけが歓迎されていなかのように響きます。山の動物たちは木の陰から息をひそめぼくらの動きを観察していたことは間違いないでしょう。

そうこうするうちにようやく峠の頂上にたどり着きます。入山から6キロほど歩いたでしょうか。そしてここには車が一台通りぬけられる程度のトンネルがあります。そうこの暗闇の中にあるトンネルはさらに暗い闇に包まれています。中になにかいるかもしれません。トンネルの向こうには別の世界があるようです。ネコバスの停留所があっても、千尋が走り回っていても不思議じゃないのです。このトンネルの写真がこれです。ぼくらはここに何しに来たのでしょうか?肝試しでしょうか。


トンネルを過ぎると、今度は寒さが襲います。気温が急激に下がるわけです。寒さを抱えながら今度はくだり坂をとぼとぼ歩く。道路わきの白線と急カーブにあるガードレールの白だけが人間のあたたかさを感じさせてくれる。そんな世界です。相変わらず足元が悪く転ばないように慎重に歩きます。下り始めて3キロくらいたったでしょうか。「酒豪と呼ばれる男S」が突然叫びます。「なんだあの光は!」後ろを振り返ると、人魂にしてはちょっと小さな光が左右に揺れながらこっちに近づいてくるのです。寒さとは違う背中に寒いものが走ります。この峠にいるのはいまここにいる二人のほかに「軍曹と呼ばれる男H」しかいません。しかし、「軍曹と呼ばれる男H」は1時間くらい遅れているはずです。ついにアレが出たのか。「おーい、軍曹か?」一応呼んでみます。すると光は無言のままさらに近づいてくるではないですか。「うおおおおおおおおおおおお!」結局、その光の主は「軍曹と呼ばれる男H」でした。なんと彼はこの暗闇の恐怖に1人で耐え切れず、ケータイ画面の光を頼りに峠をずっと全力で走ってきたというのです。これには仰天しました。峠に入るまでは「足首や膝の関節がいたくてもう走れません(涙)」と弱音をはいて歩いていた男がです。恐怖というものが人間の潜在能力をいかに引き出すか。まさに火事場の「バカ」力です。
いずれにしても、こうして3人は合流したのでした。ようやく虫の鳴き声が聞こえるようになり、空の雲に人里の明かりうっすらと差し込んでいるよう見えるようになりました。次第に安心感がぼくらを包みます。ところがです。自然はぼくらを自由にはさせません。ポツリポツリと雨がふり出します。はじめはたいしたことないかなと思っていたら、突然、ザーーーーーと激しくなります。仕方がないので大きな木の下に逃げ込み雨宿りをします。しかしさらに激しさを増します。ゲリラ豪雨の様相です。山道はあっという間に川になります。とにかく滝のように流れてくるのです。身の危険を感じはじめます。そしてぼくらは一刻も早く下山したほうがいいという決断します。そこから重力にまかせて全力で走り始めます。足が痛いとか暗いとか寒いとか言ってられません。なぜなら今度は水が迫ってくるわけです。数々の土砂崩れ現場を見ていたぼくらは、いつ崩れてもおかしくない山と恐怖を背中に抱えているわけです。なんでこんなところでサバイバルゲームをしているのでしょうか。やばいです。走れ走れです。

するとようやく里の明かりがちらほら見えはじめます。そして、なんと運がいいことに農機具小屋が目にとまります。しかも、扉があいているではないですか。中でイセキのトラクターに乗った小林明が微笑んでいます。うそ。ぼくたちは飛び込みます。やっと一息です。しかし、既にびしょびしょになっているぼくらを今度はとんでもない寒さが襲います。たぶん体感温度は10度を切っていたでしょう。

「軍曹と呼ばれる男H」はTシャツ一枚でぶるぶる震えています。それもそのはずです。なんと彼は峠に入る前にコンビニで荷物が重く走りずらいという理由で持っていた服類を自宅に宅急便で送ってしまっていたのです。人類の進歩というのは恐ろしいものです。コンビニから気軽に1000円で荷物が送れてしまう。一見便利なシステムのおかげで目の前の彼は今とんでもない目にあっているのです。彼はまちがいなく心の中でつぶやいていたはずです「原発反対!」と。

震えながら待つこと20分、ここでまた決断に迫られます。このまま待って寒さにやられるか。それとも雨に濡れても走り出すべきか。結局ぼくらは前に進むことにします。とにかく一番最初に見つけた店に入って暖をとろうということで、小屋を飛び出したのです。ところがです。「軍曹と呼ばれる男H」は無理に無理を重ねてきた上に、寒さのために体力が完全に奪われていまっていたのです。「体が動きません。」そう叫んでいます。しかし、前に進むしかないのです。

道路ぞいに点々とある民家の窓から明かりが漏れます。そして明かりの中では暖かな部屋でTVを見ながら食事をしているような様子が伺えます。「ぼくらは何をしているのだろう」まるでマッチが売れずに食卓をのぞく少女のような気分で走るわけです。

しばらくすると旧道が終わり、明るい甲州街道が戻ってきました。そのころには雨があがり、あと残り15キロ。「節電どつく」で暗くなった道路を、車のヘッドライト頼りにひたひたと走り始めます。しかしようやく甲州甲府盆地に入っていけるのです。ぼくは戦国時代に思いをはせます。そう、それは戦に勝って城に戻る武田信玄の気持ちです。しかし、困ったことにここから10キロくらいまったくお店がありません。次第に空腹と水分不足がぼくら襲います。神はぼくらに苦難を与え続けます。勝沼に入るとぶどう畑の中を走ります。ぶどうの甘い香りがあたり一面に漂います。そして道端から手の届くところにぶどうの房があるじゃないですか。アダムとイブ。「とって食べたい」「いや、そんなことをしてはいけない」そんな葛藤をしながら少しづつ前に進むのです。

あと5キロの地点でやっと、ラーメン屋を見つけました。店主のおばちゃんテレビでターミネーターを見ていました。そこで一息つきます。ラーメンはちょっとしょっぱすぎですが、その時のぼくらに味なんか関係ありません。どこで食べてもそこが三ツ星です。30分くらいで「軍曹と呼ばれる男H」がたどり着きます。「I`ll be back」です。すると、彼はうつむき加減に突然言葉を発します。「すみません。チャレンジ失敗です。もうリタイアです」というのです。彼は走れなくなった足を引きずりながら、何度も民家のドアを叩こうか悩んだというのです。まさにリアル「田舎に泊まろう!」です。民家がなくなると、今度は救急車を呼ぼうかどうかとの葛藤を続けてきたそうです。彼にはぶどうは関係ありませんでした。既に身も心もぼろぼろです。

ラーメン屋を出ると3人ともほとんど走れません。さらに気温が下がります。「軍曹と呼ばれる男H」はTシャツで歩きます。心は冬山です。残り5キロの道のりとぼとぼと歩きます。普通の状態なら1時間で歩ける距離を2時間以上かけてなんとかその日の宿にたどりつくのでした。午前0時を回っていました。ぼくたちはいったい何をしているのでしょうか。洗濯などをすませ結局、眠りについたのは午前3時近くでした。ひどい一日です。

3日目、ホテル前の松屋で朝食をとります。松屋は全国どこでも24時間、ぼくらの友人です。少し、遅れていくと「酒豪と呼ばれる男S」が朝から牛皿を食べていました。朝から熊です。いや、元気です。午前9時過ぎに出発しました。この日は清里までの50キロ。標高差1000メートルを上るというまたまた厳しいコースです。天気は快晴です。甲府盆地の気温は急上昇です。前日ぼろぼろだった「軍曹と呼ばれる男H」もなんとかスタートします。ぼくは「軍曹と呼ばれる男H」を励ますつもりでゆっくりと歩を進めます。ところがです。次第に右足の甲のあたりが痛くなるではありませんか、その痛みをかばうように歩くと、今度は左足の裏に異様な痛みがはしり始めます。困りました。冷や汗が混じり始めます。

やっと見つけたスポーツ屋でテーピングをしたりしたのですが、痛みは強まるばかりです。今日は走ることはあきらめて最後まで歩き抜こうと覚悟して、標高1000メートルの夜の寒さを考えユニクロで服を買うことにしました。しかし、田舎のショッピングセンターは広大です。敷地内に入ってもユニクロになかなかたどり使いのです。ユニクロも巨大です。売り場まで歩くのが一苦労です。やっとの思いでダウンとヒートテックを手に入れました。これで山でも黒木メイサです。しかしこんな苦労もむなしく、その日20キロ地点、スタートから140キロ、中田英寿の出身地、韮崎で悔しいリタイアとなってしまいました。スーパーの前のベンチでうなだれるぼくの横に、中学生くらいの男の子が座りました。
スーパーの袋からまずとんカツ弁当を出して食べます。その後、菓子パンを出して食べ、アイスクリームを食べ、ポテトチップスを食べ、チョコレートを食べます。その横でぼくはおーいお茶で無念を流し込みました。

何が最大の原因かといえば、それは「靴下」です。ぼくはなめたことにGapで買ったカジュアル用の薄手の靴下で今回のランニングに使っていたのでした。普段の軽いジョギングでは何も問題なかったので完全に油断していたのです。薄い下地の靴下は地面の衝撃を吸収しません。直接足に伝えてきてしまっていたようです。

以前、登山家は、凍傷にならなないために服を買うとまず「タブをはさみできれいに切り取る」という話を聞いたことがあります。それは冬山登山の基本中の基本です。長距離ランをするなら、きちんと靴底の衝撃を受ける靴下をはく、それは誰でもやらなければならいやはり基本中の基本です。不覚にもそんなことすらおろそかにしていたわけです。(夜や寒さへの対策の不備も最低ですがw)

しかし、悪いことがあれば良いことがあります。なんと前日までほとんどダメ男だった「軍曹と呼ばれる男H」が突如として復活を果たすのです。一緒にリタイアするのかと思いきや、「もう少しがんばってみます」と宣言し元気に走り出します。そしてついには前を走っていた「酒豪と呼ばれる男S」を追い越してしまうのです。まさに人間の奇跡です。誰か1人ダメ人間が登場すると、それを見ている誰かはなぜか元気になる。こんな法則があるのです。ダメだと思われている人の存在が、社会や組織のエネルギーになっているということを人間は忘れてはいけませんw。ダメな人をみんな、すぐ排除したがりますからね。


救護されて車で移動している途中に、二人が走っているところを後ろから追い抜いていくのですが、人工パワーのある車から見ると、小さな人間が、なかなか前に進まずにただ、腕だけ一生懸命振っている姿はある意味こっけいに見えるるだろうなと思いました。しかし、ぼくにはそんな二人が神々しく、すごく美しく見えました。

コースを車で先回りすると、清里までの国道141号線は歩道がまったくないところが何箇所かあり、非常に危険なルートであることがわかりました。(今頃わかるなっていうのw)そこで、地図で確認したところ県道28号というのが少し遠回りになるが県道ルートがあることがわかり、二人に連絡しそっちに回避するように伝えました。ところがです。後から聞いた話なんですが、この28号がさらにひどい道路で、暗いし、歩道がないし、大型車が通るしで相当やばかったたらしいです。二人は命かながら走破したようです。約12時間かけてその日は宿につきました。清里の気温は既に10度近くまで下がっていました。山は既に冬の入り口です。


翌日二人は、9時半ころ出発し、残り45キロ、国道141号線を長野県佐久市にひた走ります。途中、JRの最高標高地点1375メートルを通過し、そこからはほぼ下り坂です。最高地点で記念撮影をする。そんな余裕はぼろぼろの二人にはすでになかったようです。そして、最終ゴールに到達したのは夜8時ころです。二人は真っ黒に日焼けして既に夜と同化していました。笑った歯だけが白く輝いていました。


ぼくは今回走りながらいろいろ考えたのですが、ぼくがイメージしたのは216キロ走るということは恋愛と同じだということです。(ここでようやくタイトルの意味ですよwながっ)正直言って216キロ走っても何の役にもたちません。そこにはハラハラやドキドキや楽しかったり、苦しかったりがあるだけです。もしこのランニングで何か合理的なものを得ようと目標を立てたり、準備万端整えてトラブルがまったくなかったら、たぶんまったく面白くありません。大切なのは「そこ」なんです。恋愛もその先に何か目的があったり、問題が起きないようなことばかり考えていたら同じように面白くないということです。どんなハプニングがあるかわからない。怖い。なんでこんなバカなことをしているのだろう。そういうプロセスに同じ価値を感じるわけです。失恋がいやだから恋愛をしないとか、断られるから告白しないとか、相手を傷つけるからもう一歩前に出れないとか、そんなこと考えていて楽しいわけがありません。もしそんな人がいたら、ぼくはまず「心のランイニングw」を勧めたいと思います。そして訪れるプロセスを楽しんで欲しいです。うまくいくとか失敗するとかそんなことはどうでもいいんですよ(負け惜しみw)。わかります?つまり216キロを走ることは恋愛をするってことと同じだったんです。(秋ですねw)何か煙にまかれたように思っているあなた、まずはその疑る気持ちを捨てて、走ってみることです。なぜなら、ここまでこの駄文に付き合えたあなた、あなたは間違いなく辛抱強さがあります。216キロを楽しめる忍耐を持っているかもしれません(笑)。

おわり(@ankeiy)