不合理なものと生きている感じについて

いやー、お久しぶりです。奥さん。もう秋ですね。このブログ書かないでいると存在そのものを忘れてしまいそうなのでたまには更新しておきますね。

先日、「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」という美術展に行ってきたんですよ。ハードコアっていうとポルノを思い出しますよね。エッチ。(ぼくは奥さんのそんなところが好きなんですよ。)

この展覧会、ヤゲオ財団という台湾出身でビジネスで大成功した人のコレクションの展示なんですが、個人のコレクションを国立美術館が展示するというなかなか大胆なものでした。そう、他人の家のリビングを覗くって感じ。それと、この展覧会の面白いところは、お金と絵画の関係を全面に出しているところです。「奥さん、この絵は○億円もするんですぜ」っていう下世話な感じを偉い美術館がやるという。あえて絵の価値を金額で見せたりしてね。


展示されているものはほとんどコンテンポラリーと呼ばれるものですから、「なんじゃこりゃ」って思うものや、「おいおいこれが○億円もして、詐欺だろw」って思うものまで勢ぞろいです。真面目な顔をして鑑賞している人の顔を見るだけで、笑いがこみあげてくるような作品もあります。

こういう現代アートをコレクションしている人を見ると、いつも思うんですけどまあ何であんなものを自宅に飾ろうとか、所有しようと思うのかということです。ぼくにはまったくわかりませしぇーん。


と、先日まで思っていたのですが、最近、「まてよ」と思いました。芸術は高尚はものとか、社会に何かメッセージをしなければならないとか、作家の精神性を表現しなければならないとか、有名な作家じゃないとダメだとか、そんなこと考えているから「なんじゃこりゃ?」になるんですけど、単に「不気味なもの」とか「不快なもの」「よく理解できないもの」と思うだけでいいんじゃないかって気がしてきたからです。

意味わかんないですよね。そうなんです。これを文章で伝えるの結構難しいんです。リビングに綺麗な風景画がかざってあったとすると、「いい絵だなあ」「癒されるなあ」って感じでそれもありなんでしょうけど。
「なんかあれ不気味だなあ」とか「まったく理解できない」「心がわさわさする」とかそっちの方が生きているじゃんっていう感じですかね。

安全な家の中にいるよりジャングルの中で、いつ猛獣に襲われるかもしれないという状況の中にいたほうがアドレナリン全開で、人間として今を生きているって感じがするじゃないですか。(やったことないけどw)そう、そんな感じですね。まさに生きてる感じそのものを得るわけです。これがコンテンポラリーの価値なのかと。


生活や仕事も一緒ですよね。安全で安心なものばかり、合理性ばかりを求めていると、人間が本来もっている生きるエネルギーがどんどん失われていく。たまには不安なもの、不合理なものを自分の中に取り込むことで自分の中に眠る力を呼び起こすっていうんでしょうか。それは芸術作品でも人間そのものでも、仕事でもいいんでしょうけど、それを通じて生きているということを実感する。ノイズとの付き合い方がうまい人はぜったいにパワフルだって思うんですよね。

意味不明なものが、怖いものが大切だったりするんですよ。奥さん。
だから奥さんには僕が必要なんですねw

@ankeiy

スタートアップがアフィリエイトに取り組むべき理由に付け加えること。

人気ブロガーのイケダハヤトさんに連日アフィリエイト利用についてブログに書いていただいておりますので、こびっと、前日本アフィリエイト協会会長の私からもアフィリエイトについて捕捉したいと思います。

こちらがイケダハヤトさんのブログです。

スタートアップ企業はアフィリエイトプログラムを用意すべき!

ちょっと、イケダハヤトさんの文章をおおざっぱにまとめますと「アフィリエイトはイメージ悪かったが、自分が使っているサービスがアフィリエイトをやっているので、使ってみたらすごく良かった。もっと早く使えばよかった。ブロガーのみなさんはぜひ利用してみたら」こんな感じです。

この「アフィリエイトはイメージが悪かった」という枕言葉には、やや「カチーン!」ときますが、私は大人なので許しますw。まあ、そもそも確かに「アフィリエイト」はイメージが悪い。「嫌儲」というか、私がこのアフィリエイトプログラムを運営するサービスを提供した2000年時点から、数々のアフィリエイターが「ちょっとアフィリエイトで稼ぎました!」なんてことをWebや掲示板で書いたものなら、すぐに攻撃の対象となって、それはそれはひどい目にあってました。そのうちアフィリエイト広告で収入を得ている人は、収入を得ていること事態を隠すようになりw、水面下に潜りますます周囲から疑心暗鬼に思われます。「あいつはどこかで稼いでいるんじゃないか」とw。

嫌儲的なみなさんに悪く思われる理由もよくわかります。アフィリエイトって不労所得に見えるんですよね。リスクがなくちょっとした知識で、寝ていても収入が得れるという。そんなうまい話あるわけないんですけどね。そういう誤解を受けます。株式投資も同じように不労所得に思う人が多いようですが、こちらは大きなリスクが伴いますから、まあなんとか批判をかわせます(樹海行で済みますw)。ところが、アフィリエイトの実態はというと、まったく不労所得じゃなくてリスクもあるわけです。というのもアフィリエイトって時間をかけて広告商材を吟味して、自分の提供するコンテンツの中でしっかりなじませていかないと収入にならない。しかも何度も何度もトライ&エラーを繰り返してノウハウを得ていくわけです。結構大変な作業なわけです。金銭的なリスクは大きくないかもしれないが、自分の時間をやはり相当投資しなければならないわけですね。まあ、商売は何でもそうですけどねw。他の商売に比べればうまくいかなかった時は「ゼロ」で済みますから、マイナスにならないだけ良いビジネスってことは言えますけどね。

儲けるために作ったコンテンツを批判する人たちもいます。確かにひどいページもありますし、クオリティは様々ですけどね。消費者にとって利便性のあるコンテンツは生き残り、ダメなものは淘汰される。ただ、それだけのことです。これは検索エンジンの世界だけではなくてあらゆるコンテンツの世界で必然です。最近ではヤフーの検索ページがほとんど広告だらけになっていて、「これでいいのかヤフー!」とか言われてましたが、ヤフーがいいのか悪いのかということではなくて、それは利用者が判断することですよね。

困った人たちもいます。不正を働いて収入を得ようという人達です。まあ、これは金が絡めばどんな世界でも一定数、発生するんですけど、金融業界なんていうのはその宝庫ですよねw。アフィリエイトにもいるんですよね。そういうめんどくさい人達が。ただ、アフィリエイトの場合は、成果報酬になっているので、成果が発生した時点では、お金が支払われません。きちんと正当な成果なのかの検証が行われるわけです。そのうえで支払がされるのでかなり不正は排除されますし、不正を働く経済合理性がかなり低いと思います。でもでも、アフィリエイトの不正のようなこと(脱税も含めて)が事件化すると、まったくもって「ネット=オタク=悪」のフレームが立ち上がり、マスコミには叩かれるわけです。そしてますますイメージが悪化する。まあ、これもどんなビジネス分野でもそうなので仕方ないですけどね。


アフィリエイトの不正ってアフィリエイターだけじゃなくて、当然、広告料金を支払う広告主側にもあるわけですよね。広告主の不正って成果報酬をごまかしたりするというやつですね。まあ、これもごまかすって一時的には支出を抑えられるかもしれませんけど、すぐ協力してくれるアフィリエイターがいなくなっちゃいますよね。何のためにアフィリエイトをやっているのかわけわかりません。ぼくらもそういう広告主とは付き合いたくありません。


おっと、話が長くなってしまうので端折りますが、先日、社内面談をしているときに、ある社員が「ぼくはアフィリエイトのイメージを良くするために頑張ります」というんですけど、ぼく言ったんです。「そんなことやめなさい」って。「イメージなんてどうでもいいので、アフィリエイトの良いところをどんどん情報発信していけばいいよ」って。さっきも書きましたけど、良いものは残り、ダメなものは排除されるわけですよね。例えば車。車は排気ガスを出すわ、交通事故を起こすわ、犯罪にも使われるわで負の側面もたくさんあるんだけど、これがあると「ありがたい利便性」があるわけですよね。それをしっかり伝えていくことが大切ではないかと思うわけです。もちろん、フェアネスを大切にし、悪いことの排除に最大の努力をしながらですけどね。


ぼくたちも2000年からアフィリエイトを仲介するビジネスをはじめてたぶんメディア(アフリエイター)のみなさんに500億円を超える媒体費を支払っていますし、業界全体だと数千億の支払があるんじゃないでしょうかね。そういう経済圏を作り。雇用を生み。このサービスを利用することで立ち上がるベンチャーがいて。アフィリエイターと呼ばれる主婦や学生やサラリーマンやおじいちゃんが自宅で新しい収入源を確保してく、そういうインフラを作るってところですよね。


ぼくは今から15年前に「アフィリエイトマーケティング」(東洋経済)という本を書いていますが、この本のサブタイトルに「究極のマーケティング手法」とかつけました。あの当時から、そして今もこの手法はマーケティングの最終形だと思っています。だってモノやサービスが売れたらお金を払うなんていう、効果にコミットした方法の先に何がありますか?あれば教えてくださいw。

そして、もうひとつぼくたがコミットしているのが「個の力」です。トフラーがいずれ生産者と消費者の垣根がなくなると未来予想した「プロシューマー」の世界。まさにネットはこの最終的な消費社会に加速させる道具だと思います。ブログになろうが、ソーシャルになろうが、3Dプリンターの時代が訪れようが、個人の消費とそのための情報、そして生産のための手段はこれからもどんどん接近していくと思います。その中で、今回アフィリエイトを紹介していただいている「有名なブロガー」イケダハヤトさんのような人が増えていくのだと思います。

すげー話が長くなっていますが、タイトルの「スタートアップがアフィリエイトを使う意味」ですが、イケダハヤトさんが言うような、レビューをしてもらえるという点もすごく大切だと思いますが、それよりも重要なことがあると思います。それは、アフィリエイターと呼ばれるネット上の情報発信者との金銭を介したドロドロとしたやり取りです。ネットの先にいるので顔が見えないですが、その先にいるのは常に人です。その人を動かして自分たちの商品やサービスを拡販していくという行為、この行為を一番直接的に実感できるのはアフィリエイトだと思いますし(もちろんリスティング広告とかもありますが、もっともアフィリエイトは人間くさいです)それを乗り越えていかないとダメだと思うわけです。もっと言うと、もしダメな商材なら売れないし、その前にアフィリエイターが取り上げてくれない、取り上げたとしてもうまく訴求できないなどなど、自社サイトの構造が悪ければ、途中で離脱されてこれまた売れないとか、さまざまな情報を線の上で継続的に集め続ける必要があるわけです。

よくアフィリエイトで売れないから撤退!とかいう人いますけど、アフィリエイトで売れないならネットで何をやってもダメだと思うんですけどねw。うちの会社もスタートアップ時代があったわけですけど、なぜ成長の軌道に載せられたのかというとやはりアフィリエイト利用は大きかった。ぼくは毎日寝食を忘れてネットにへばりついて運用しましたw。今は上場して立派な会社になっている数々のうちのお客様も、やはり成長する企業はアフィリエイトの使い方がすごく上手いですし、なぜ使っているかを良く知っているわけですよね。

運用型広告なんて、最近とってつけたようがバズワードがありますが、ネットの広告っていうのは競合溢れるドロドロとした中で、いかに自分たちの商品やサービスをアピールしていくかに限るわけです。サービスと消費者の間に多くの人間が介在するほど、その複雑系になりますし、情報も増えるわけですけどそれを乗り越えないとネット上の成功はないわけです。

スタートアップのみなさん、ぜひアフィリエイトを活用してみてください。
ただし、月額基本料4万円とかかかりますので清水の舞台から飛び降りる気持ちをお忘れなくw。

@ankeiy


#あと、このブログに直接、質問してこないでくださいね。アフィリエイトで疑問があれば、A8.netまで。

バフェットからの僕への手紙

自分の頭で考える経営---この当たり前のことが今どれだけできているのだろう。ウォーレン・バフェットの本を読んでそんな疑問が頭をもたげてきた。だからブログを書こうと思った。そのことをもう少し考えるために。

20年ほど前、ぼくがはじめて株式投資を始めたとき、すでにバフェットはビルゲイツに次ぐ世界の富豪であり、投資の神様だった。ぼくは書店にある彼に関する書籍をむさぼり読んだ。けれども、そのとき頭の中に残った言葉は「長期投資」と「自分の理解できる企業に投資する」っていうことぐらいだった。そんなことがわかっても株式投資で儲かるわけはない。人生は短い(笑)。実際、ぼくの株式投資も短期売買による利ザヤ狙いだった(笑)。今回、彼がバークシャー・ハサウェイという彼の経営する会社の株主にあてた手紙の翻訳本をたまたま手にとった。そして、彼がどんな思いで今まで経営してきたのか、経営するための手段として投資をどのように利用してきたのかということをよく理解できた。興味深い内容だった。

ぼくが株式投資をはじめた理由は明確だ。「金持ちになれるかもしれない」と思ったからだ。間違いなく邪心だ(笑)。当時、日本がバブル崩壊でふさぎこむ中、米国ではインターネットというテーマを武器にまさにバブルが起ころうとしていた。株式投資をすれば金持ちになれる。そんな幻想を持つには十分な環境だった。そんな中で、やがてぼくは「他人の会社に投資するより自分に投資する方がはるかに儲かる」と考えるようになる。米国ITバブルの中で、多くの若者がIPO長者となっている現実を目の前に突き付けられたからだ。それはまるで20世紀の最後に流行した熱病のようだった。

ぼくは1999年に起業した。起業したことが正解だったのか、不正解だったのか今をもって判断はつかない。この15年を通して、多くのものを得たけど、たぶん多くのものを失っていると思うからだ。いずれにしても15年の月日が流れた。そして今も経営者という役割で仕事をしている。起業した会社が15年も続いているのはすごくラッキーなことだと思う。多くの企業がなくなっていくのを目の前で目撃してきたからだ。会社が生き残っているのは、ぼくに特殊な能力があったわけでも、人より何倍も努力してきたわけでもない。ただ、企業を始めたときから「終わりたくない」と思う気持ちが人一倍つよかっただけだ。だから、終わらないためには成長しかないと考え続けてきた。どんなことでも始まりがあれば、必ず終わりがある。けれども、企業は続けなければならない。終わりは必ずやってくるのにそれに精一杯抵抗しなければらないのだ。死ねないのだ。ときどき、経営とは無茶苦茶な仕事だと思う。

バフェットの経営は、まさに成長し続ける企業への挑戦だと思う。1964年(これはたまたま僕の生まれた年)に経営しはじめた「バークシャーハザウェイ株」の価値は50年を経ていまやその価値1万倍に迫る勢いだ。毎年複利で20%近い運用をしてきたことになる。孫さんが14年前にアリババへ投資した20億円、今回のアリババ上場で6兆円〜8兆円の価値になると言われているが、そんな宝くじのような投資リターンでもまだ3000倍〜4000倍。バフェットの経営手法がいかにずば抜けているかがわかる。とにかくすごい。

バフェットには「どんなことがあっても会社を終わらせない」という覚悟と準備がある。それはバークシャー・ハサウェイの主力が保険事業ということで、契約者への保険金支払いの責務ということにもつながると思うが、周りからどんな保守的と思われても、2兆円を超える潤沢な現金同等物を常に保有し、無理な借入金など一切しない。もっと投資した方が儲かるかもしれないが、どんなに機会損失が発生しようとも安全を最優先とする徹底した覚悟だ。

バフェットが大切にするのは、企業の「内在価値」だ。その企業が本来生み出す利益に紐づけられた価値だ。株式市場でつけられた「株式価値」とは全く違うと考える。つまり多くの上場経営者が気にする株価や時価総額の数字などまったく関係ない。それどころか、自分が経営するバークシャー・ハサウェイの株価が彼の考える内在価値と大きくかい離すると、警告を出したりするのだ。

通常、上場会社の経営者はIR活動と称して株価を上げる努力をする。なぜそんなことをするのか。「そんなこと決まっている」と何も考えないで行動している経営者も多いと思う。取り巻きの金融関係者も「株価を上げましょう」とまくし立てる。経営者にとって株価が上がるとストックオプションで利益が出るとか資金調達(企業買収)が有利にできるか、金融機関にとっては取引に介在する手数料が多くなるなどの実利もあるが、なんとなく社会から「株価が高いと優れた経営者と評価される」と考えている経営者も必ずいる(笑)。バフェットは真っ向からその考え方を否定する。株価は本来その企業が生み出す将来利益の価値にイコールであるべきだと考える。

IRといえば、株主数を増やすことや株式の流動性を高めることも重要な目的とされる。しかし、バフェットはそうした単純な考え方にも疑問を呈する。流動性なんてなくてもかまわないというのである。もっと下世話に言えば、「短期の利ザヤを狙うような投資家は入ってくるな」ということだ。この考え方に基づいて、バフェットはずっと変な株主を増やしてしまうような株式分割を行っていない。(バークシャー・ハサウェイに連動する金融商品を阻止するためや、相続のために種類株を発行し取引価格を下げているようなことはしている)

自己株買いについても極めて慎重だ。バークシャー・ハサウェイは企業の内在価値に等しいあるいは下回るような株価になり、内部資金が200億ドルを上回っているようなときしか行わないと明言している。自己株買いが一株あたりの利益を上げる有効な手段であるということは間違いない。けれども、上場会社の経営者はIRの一環として、内在価値など考えずに、株価を支える、もしくは上昇させる目論見をもって自己株買いをする。そうしうた目先の株主還元を完全否定しているのだ。

配当政策についても極めて慎重だ。配当する資金を再投資に回すことで株主にさらなる利益をもたらせると考えれば配当はしない。配当した方が株主利益にかなえば配当するということだ。どこかの上場企業のように利益の○○%を配当目標にするなどというバカげた決意表明はしない(笑)。なぜなら、状況によって配当するべきかしないべきかなどということは刻々と変わるからだ。

ストックオプションについても極めて否定的だ。なぜならストックオプションを発行することで、株価を上げるために本来の株主利益を毀損するような馬鹿げた行動を経営者が取ることが多くなると考えるからだ。どこかの上場企業のようにストックオプションの行使条件に株価を設定するようなアホの上塗りになるようなことを決してするなということだ。

集中投資、経営者の資質やルックスルー利益などなど、バフェットが経営で大切と考えるスタンスはまだまだたくさんある。が、ブログが長くなってしまうのでこの辺でやめる。話をまとめると、今の株式市場や経営者の間で「良いこと」とされて「当たり前に行われていること」に対してハッとさせられることがたくさんある。というか、一つ一つのアクションに対して、自分の頭でしっかり考え抜いた結果、そうしているということがよくわかる。そこで私たち経営者に質問である。

「果たして自分の頭で考えて経営しているのだろうか?」

経営指南書の言いなりなっていないだろうか?ベンチャーキャピタルの言いなりになっていないだろうか?証券会社の言いなりになっていないだろうか?一部の声の大きい株主のいいなりになっていないだろうか?開示や株主総会という様式にとらわれていないだろうか?

企業は株主がオーナーである。その株主に還元する利益を最大にすること。それが経営者の仕事である。プロの経営者?どんな人がプロだか知らないが(笑)、やはり自分の頭でしっかりと考えた経営者は尊敬できる。それが正しいのか間違っているのかそれはよくわからないが、自分の頭で考えている人はすごい。

経営者の評価は結果でしかない。プロセスも言い訳も関係ない。その厳しさを自分の頭で受け止めたい。

@ankeiy

内在価値に等しいあるいはそれ以下の金額で企業に投資できる機会は数少ない。だから、しっかりと準備をして下落相場を待つのだ。だから、長期投資なのだ。

「バフェットからの手紙(第3版)」(パンローリング)

もしもメッシがサラリーマンだったら夏はTシャツ、短パン、ビーサンで仕事に行くだろうという話。

子供のころ、アルゼンチンっていうのは、男だけの国だと本気で思っていました。「あるぜ!ちん!」嘘です。ところで、ワールドカップ・ブラジル大会、観てますか?盛り上がってますよね。アルゼンチンが久しぶりにベスト4に残りましたね。この前ニュースで言っていたんですけど、メッシって、キーパーより動かない試合があったそうですよ。すごいですね。グランドの中でほとんど動かくなくても攻撃の起点になり、ボールにワンタッチすることで局面を変えてしまう。もちろん、ドリブルとかスピードとかもすごいんでしょうけど、この効率のいいプレイにしびれちゃいますよね。

日本代表にもメッシのような選手がいればいいですよね。アルゼンチンがうらやましいですよね。でも、それでちょっと思ったんですけど、メッシのような選手は日本のチームには受け入れられないんじゃないかって気もするんですよ。だって日本の選手ってとにかく走らないとダメじゃないですか。岡崎も本田も香川も攻めたら守る、とにかく走って走って走りまくるって感じで。これ昔からそうですよね。「北澤走れー!」みたいな。とにかく必死になってがんばっている選手は評価されるけど(もちろん、結果が必要だけど)、メッシのようにパスだけで局面を変えるような選手は日本だと居心地悪いんじゃないかなと。「いや俺もがんばって一緒に走らなきゃ」とか思っちゃって。そういう選手って育たない土壌なんじゃないかと思ったわけです。

先日、TV見てたら、日本の変なところとして、外国人が「なぜこんなに蒸し暑いのに、日本のサラリーマンはスーツなんか着るのか」とか指摘していました。(まったくわかってないこの外国人。日本人が仕事が終わった後、いかにうまい生ビールを飲もうと日々努力しているのかw。)確かに、最近ではクールビズ上着を着る人の数は減ってきているかもしれないですが、まだまだお客さんと会うときは上着を着ないと失礼だとか、なんか落ち着かないとかいう、わけのわからない理由で暑いのを我慢して上着を持ち歩いている人も多いですよね。ぼくがサラリーマンしていた20数年前は当たり前のように夏でも汗染みいっぱい作りながらみんなスーツ着ていました。東京の地下鉄はまだ冷房入ってなかったんですよ。とにかくみんな汗をかいていた。今考えると、そう、まさに「がまん比べ」ですね。じわじわ熱湯甲子園ですよw。会社の先輩に、どんな暑くても決して上着を脱がない伝説の男がいました。女とホテルに入っても脱がないんじゃないかという噂でしたw。ぼくはその先輩を見て「あー、なんか、かっこいいなあ」なんて思ってしまいました。みんな夏の暑さでどうかしていたんでしょうかw

そう、ときどき「がまんってかっこいい!」って思えてしまう瞬間があるんですよね。どんなに苦しくても我慢して走り回るサッカーも、炎天下で一日中野球の練習をしている高校生もw、暑い夏の日に着るスーツも、そんなふうに「がまんしている人」=「クール」って思う人達によって支えられているんじゃないかと思うんですよね。そしてこの感覚、結構、日本人特有なものだったりするかもしれないですよね。だってマラソンや駅伝が昔からすごく人気高いじゃないですか。まさに「がまん」を体現したスポーツですからね。特に、駅伝は仲間のために自分を殺して我慢を重ねる姿がより崇高に見えるんじゃないですかね。

この「がまんの美学」ってどこから来たんですかね。根性アニメーション?空手や柔道などの修行?それとも武士道の「切腹」からですかね。いずれにしても近代日本において、「自分を押さえてがまんすることの美しさ」はあらゆる文化・社会に対してすごく大きな影響を持ってきたんじゃないかなと思ったわけです。
「お国のために戦争に行くとか、戦争で子供を失ったことを誇りに思うとか」こうしたイデオロギーに抑圧された嘘のがまんの美学じゃなくてね。ぼくが思っているのは「心の底から美しい」と思ってしまう。それはまるで美しい花や綺麗いな女性を見たときのような、そんな感覚で、「がまんすること」をかっこよく捉えてしまっているのではないということです。

そんな時、ぼくがツイッターでフォローしている藤沢数希さんのつぶやきが目に留まりました。

藤沢さんの考えでは「勉強は成功や地位に結びつく可能性が高いから足を引っ張ってやろうとしているのではないか・・」と、これまた藤沢さんらしい指摘なんですがw、これが正しいかどうかは別として、ぼくはやはり「がまんの美学」と関係しているのかなと思いました。というのも、勉強って頑張ると、自然といい大学やいい会社に入れるという平等さという共通理解じゃないですか、努力が報われるという。がまんして頑張るって感じが薄いんですよね。つまりあまり美しくないんですよ。ところが、スポーツや芸術って評価される人ってのはほんの一握りだから、その他大勢は、どんなに努力してもほとんど金にならない。出世できない。そしてそのことをみんな知っている。そこに「がまん」「耐えしのぶ」「辛抱する」という美しさが生まれる。

この前、とある会社の社長さんと残業をどうしたら会社から追放できるかという話をしていたときに、こんなお話がありました。その会社に毎日残業しているスタッフがいて、まじめなスタッフで献身的で周りからも評価されていたらしいんですけど、とあるきっかけで配置転換があり、そのスタッフのポジションに別の人間がついたら、なんのことはない、以前よりはるかに実績が上がって残業もゼロになったそうなんですよね。

前任の残業の多いスタッフが、残業代欲しさに仕事をしていたかどうかわからないですけど、この話を聞いて、日本の企業には残業という自己犠牲を払うことやがまんをすることで、満足したり、評価されている人が大勢いるんだろうなって思ってしまいました。

でも、やっぱりイノベーションっていうのは「がまん」していると決して生まれないんですよね。がまんの美学からは。どうやって「楽にするか」「手を抜いても同じことができるか」ってことを考えないと、いつまでたっても生産性が上がらない。日本代表のサッカーチームがそれで強くなるかどうかわからないけど、日本社会全体がそういうことについてちょっと深く考えるタイミングに来ているんじゃないかと思いました。

願わくば、歩きづらいタイトなミニスカートやハイヒールを履いて歩く女性の「がまん」だけはぜひ続けていただきたい。

@ankeiy

東証一部に上場して何が変わったのか。

みなさん、マイルドヤンキーしてますか?ぼくは毎日かかさず研究ノートをつけています♡。さて本日のブログのテーマはちょっと重いです。なぜなら、ぼくが代表をしている会社が今年3月に東証一部に上場してしまったからです。私はその重厚な立場から語らなければならなくなってしまったのです。いっそうのこと、過去を一掃するためこのブログを捨ててしまおうと考えましたが、あとから理研になんだかんだ言われた時の証拠としてとっておくことにしました。

いずれにしましても、14年前に乃木坂の小さなオフィスの片隅に、小さな机を一つ無料で借りて、そこに電話線を引き込んで秘書代行サービスを月額3万円で申し込んで、誰もオフィスにはいかないで自宅で仕事をしていた会社が、なんと、なんと東証1部に上場したということはそれなりに感慨深いものがあります。東証1部ですよ。あのトヨタやNTTや日立と同じ東証1部ですよ。驚きますよね。東証1部っていうのは国内に数百万社あるとわれる会社のなかで約1800社しかない経済界の最高峰なわけですよ。サッカーに例えるならJリーグ、肉に例えるなら松坂牛、カステラに例えるなら文明堂ってくらいなものです。かなりレアですよね。だから、過去のぼくのダメダメさやいい加減な生活態度を知っている皆さんは一斉に驚かれたようです。「あんな人間も年をとれば少しは変わるものなんだなあ」と思ったようなのです。

そんなこんなで、最近、会う人、会う人に「東証一部に上場して何が変わりましたか?」という質問をされるようになりました。いちいち答えるのが面倒くさくて仕方ありません。そこでブログに書くことにしました。すげー久しぶりに。しかし、問題は知り合いがこのブログの存在をほとんど知らないことです。まあ、言ってみれば、「スタップ細胞はあるんですか?」と野依理事長にくってかかる蓮舫議員のようなものですw

さて本題です。まず大きく変わったことからお話しましょう。それは髪の毛の洗い方です。上場前のぼくは、地肌を指先でゴシゴシと力強くこすっていましたが、上場後は指の腹で優しく撫でるような洗い方に変えました。マイルドシャンプーって呼んでいます。でも、EXILEは流しません。よく流すのはあくまでシャンプーです。そう、ぼくももう49歳です。人並みに髪の毛が寂しくなってきました。上場を機に自分の髪の毛をいつくしむ気持ちが湧いてきたといってもいいでしょうか。日本人の「わびさび」がようやく少しわかってきたのかもしれません。聞くところによるとゴシゴシ洗いすぎると、これから成長しようとしているうぶ毛まで抜けてしまうそうです。いくら何でもそれはまずいでしょう。まさに老害。「でる杭は叩く」状態です。だから優しく洗って、うぶな新人たちをぼくの頭でインキュベートしなければならないとようやく気づいたわけです。

次の変化を紹介しましょう。ぼくは犬を飼っているのでよく散歩に行くのですが、道端によく犬の糞が放置されていたりするわけです。上場前のぼくは「なんてモラルが低い人達なんだ!」と飼い主に怒りを覚えていましたが、上場後のぼくは、自然な気持ちで、この放置されている「他人の犬のうんこ」を拾うことができるようになりました。なぜこのような心境の変化に至ったか、自分でも定かじゃありません。先日読んだフロイトの本によるとどうやら「無意識」とかいう輩が絡んでいるようです。「無意識」・・・。やっかいな奴です。勘のいい読者の方なら、もうお分かりですよね。そう、経営者として最も大切な「運」を無意識が拾い集めているのではないかと推測できるのです。さすが、東証一部ともなると恐ろしいことに無意識の世界まで変化を求めてくるのです。

ところで、東証一部という「日本を代表するエスタブリッシュメントなステージ」で経営者として戦うために意図的に自分自身を変えたこともあります。それは、富士そばの食券機でのオーダーの仕方です。ぼくの場合、上場前は「今日は富士そばで○○を食べよう」っていうことを決めてから店に入るようしていました。そう、電車を降りるくらいから「今日は天玉そばにしよう」とか「かつ丼にしよう」とか。だから、富士そばにつく前に既に決めていたメニューの味が口の中に広がっています。するとどうでしょう。焦りもあるのでしょうか。食券機で食券を買うときに、決めていたメニューのボタンが見つからないということがたまにあってイライラするわけです。ましてや前に先客がいて、その人が何を喰うのか迷っていてなかなか決まらないようなときや、小銭入れから小銭を取り出すのにやたら時間がかかって、なかなかコインの投入が終わらないときなど超イライラして、「富士そばに着く前にちゃんと準備してこいよ。このド素人野郎があ!」などという大変よくない暗黒物質が脳内を駆け巡っていました。この富士そばでの食券の買い方には前から問題意識を持っていたわけです。そこで、上場後は、食券機の前に立つまでは、何を食べるか決めないというふうに決めました。これにより食券機の前に立った瞬間にメニューを選ぶことになるため、なんといっても瞬間的な決断力がつきます。たとえ先客がいてもたもたしていても、その人がいるおかげで「ああ、この人はぼくにメニューを選ぶための大切な時間を与えてくれているんだなあ」と考えることができ、極めてポジティブ思考になれます。どうですか。このような変化はやはり東証一部に上場するものとして必要なことだと思うのです。

まあ、これ以外にもいくつか上場後の変化というものはあるのですが、長くなってしまうので本日はこれくらいにしておいて差し上げましょう。最後に、まあ、そんな人は稀だと思いますが、このブログを読んでいる人の中に「いつか私も上場、いや東証一部を目指そう」なんてとんでもないことを考えている人もいるかもしれませんので、そんな人のために、どうしたら東証一部に上場できるかという先輩としてのアドバイスをしておきましょう。

それは、一言でいうと、「同じステージに立たない」ということです。というのも、今でこそトヨタ花王などの大企業は、世の中で当たり前のようにみなさんの生活に商品を提供し、立派な会社になっていますが、創業時まもない「しょぼい企業」のうちは、どの会社も例外なく「変てこな会社」扱いされていたということです。変な会社といいますのは、「そんなことやっていて大丈夫か?」と思われるような世の中から不安に思われるような仕事をしていた会社だということです。ところが人間、不思議なものです。今や普通の大企業になっているそれらの企業を「はじめから普通で立派な会社だったんじゃないか」と評価してしまうのです。そして、自分もあんな立派な企業を作ろうと考えた瞬間、立派な会社を目指して立派な事業を始めてしまうという「起業のジレンマ」が生まれてしまうわけです。(なんのこっちゃw)

経営者とか投資家wとか政治家とかメディアとか、既存の理研者、あっ、間違えたた利権者たちは、昔から自分たちもずっと素晴らしく立派な人間だったような顔をして「起業家を今の自分たちと同じ立派なステージに立たせようとします」なぜなら、同じステージで躍らせれば、古くからいる人達の方が組織的にも財務的にも圧倒的に有利だからです。その時です。大切なのは。騙されてはいけません。誘いにのってはいけません。あくまでも自分たちにふさわしいステージで勝負をすることです。

まあ、いろいろ書きましたが、変化が好きな人は起業して上場を目指すのもいいかもしれません。上場することでぼくのように様々な素晴らしい生活の変化を体験することができるでしょう。まったくもって女の子にはモテませんし、上場なんかで幸せにはなれませんが、変化を楽しむことぐらいできるようになるかもしれません。

何かを変えなければ未来は変わりません。ごきげんよう。さようなら。(美輪明宏風)

@ankeiy

見るということについて。

いやー、6か月ぶりのブログ更新です。半年も経つとどう書いていいのかまったくもってよくわからないので今日はリハビリです。このブログのアクセス数どれだけあると思います?昨日は1ですよ、1。このデジタルネイティブな仰天SEO、ブロガー年収300万円時代に1アクセスしかないサイトなんて世の中に存在するんですね。ふんとにびっくりしました。ブログって書き続けないとダメなんですね。タイトルだけはサスティナブルなんですけどねw

というわけで書き始めましょう。本日は「あなたには何が見えていますか?」っていうお話です。

真っ暗闇を体験するイベント知っていますか?そう「ダイアログ・インザ・ダーク」とかいうんですかね。真っ暗闇の部屋の中で、盲目の方にいろいろガイドしてもらうらしらしいんですけど、何年か前に、そのイベントに知り合いが参加したんですね。で、先日その話をしていたら、その知り合いが「不思議なことにその暗闇の部屋を鮮明に記憶している」っていうんですよ。それも、普段の記憶より強烈に。しっかりと。

ちょっと変な話ですよね。だって真っ暗闇の中ですよ。景色も何もない世界です。見えてないわけです。ましてや記憶だなんて、真っ暗闇しか残っていないはずです。ガイドの人が暗闇の中で、その場所の状況を説明をしてくれるので、とにかく一生懸命、空間認知をするらしいんです。自分が過去に見たものや記憶をたどって。

そして、後からそのシーンを思い出すと、その暗闇の中の状況をあたかも目で見たように記憶している。なぜこんなことが起こるんでしょうか?もしかして、心に目があったんでしょうかwまあ理由はよくわかりませんが、ぼくはこの話でハッとしました。それは、ぼくは見ているつもりで、何も見ていないかもしれないって思ったからです。

何言っているかよくわかりませんねw。ちょっと噛み砕くと、そこで起きているビジュアルは実際に起きていることじゃなくて、ぼくが過去に見てきた映像の記憶や体験をそのまま引っ張り出してきて自分に都合のいいように組み立てているかもしれないなあ、と、思ったわけです。

これ恐ろしいですよ。だって結局、脳で認知しているわけですから、そこにあるものを見ていない可能性も多大にあるわけですよ。よく「幽霊を見た」「UFOを見た」って人たたちいますよね。ぼくは一度も見たことないんですけど。どちらかというと「何、またオカルトなこと言ってんだよ」って側なんですけど。本当は見えていたのに見えてないのは、ぼくのせいだったかもしれないっていうことになるわけです。あわわわ。

「真実はひとつです」なんてみんなに断言するのはダメですね。ぼくにはぼくの真実しかないかもしれないワケですから。

@ankeiy

「価格は顧客に決めさせろ」恐るべきアマゾンのDNA。

最近、アマゾンが話題になることが多いので、アマゾンっていう企業のことを少し考えていたんですが、この企業の中心にあるものがなんとなくわかったような気がしたので、こちらのブログで紹介させてただきます。

ぼくも昔、こんな記事(2001年にAmazon.comの株を100万円分買っていたら、いくら儲かったか?)を書いていますが、アマゾンってのは現在時価総額18兆円、世界でも有数の企業に育っています。世界最大の小売業のwal-mart時価総額はいま25兆円、あと何年かしたらこれも超えてくるかもしれません。でも、どこか普通の企業と違います。それはこの会社はまだほとんど儲かっていないということなんです。利益を出していません。何で利益を出していない会社がこれほどまでに評価されているんでしょうか?株主は催眠術か何かにかかっているのでしょうか。

まあ、CEOのジェフ・ベゾス氏が株式市場の「株価が上昇していれば利益なんか関係なく企業価値は上がる」という仕組みを知り尽くして、それを上手に利用しているということもあるでしょう。彼の示すビジョンが魅力的で、ステークホルダーが夢を見ているということもあるでしょう。

けれども、なぜそんなことがこのアマゾンっていう会社だけに実現できているのか、他の企業で同じことはできないのか?そんな疑問がどうしても湧いてきます。この企業を利益が出ないのに大企業にさせているDNAは何なのか?ちょっと考えてみました。

ぼくのたどり着いた結論は「価格を顧客に決めさせる」という考え方でした。よく顧客志向とか「お客様のために」とか抽象的に語る企業はありますが、アマゾンという企業の中には明確に「価格は顧客に決めてもらわないといけない」という哲学があるのではないか。消費者が最も喜ぶサービスというのは、それを購入するとき、自分の納得する値段で購入できることじゃないか。その価格から物語を考えようという、もしかもしたらジェフ・ベゾス氏やアマゾンで働く人たちさえ気づいていないうちに考えてしまうようなフォースがはたらいているんじゃないかということです。

でも、価格を顧客に決めてもらうなんてこと可能なんでしょうか?だって1000円の原価がかかっている商品を顧客が500円で欲しいって言われて、それで売っていたら、500円の赤字じゃないですか。そんなんじゃあ商売が成り立たないですよね。でもこれをアマゾンはやっちゃうんですよね。それでこの500円の赤字って普通の経営者だったら、苦々しいマイナスなダメダメなんですが、これをポジティブな2つの宝物に変えてしまうわけです。一つは「顧客の満足」そしてもう一つは「この500円の赤字を埋めるための企業努力のエネルギー」です。まさに、ここがアマゾン・マジックです。

アマゾンはすごいテクノロジー企業でもあるわけですけど、注意してよく見ると、ソニーやアップル、あるいはGoogleフェイスブックのような新しい価値を生み出すような革新的な技術ではない。自分たちが顧客に価格を決めさせた結果、それで発生した赤字を埋めるためのバックグランドにそのテクノロジーの多くが使われているように思います。物流しかり、サーバー管理しかり。

普通のプライシングの考え方だと、「プライス=原価+販売管理費(営業・広告費)+利益」ですから、その前提で競合との兼ね合いを考えて、中に入れる数字を決めていく。期間按分もふくめいちばん数字の最適化に成功した企業が最大利益を出し、評価され、成長していく。これを経営上手といいますが、アマゾンの場合は競合の顔色をうかがう必要もないし。数字の最適化なんて考える必要もない。なぜって価格は顧客が喜ぶという一点で決めてからその他の数字を決めていくわけですから。

じゃあ、こういう顧客に価格決定権をゆだねるような企業はほかにないのかというと、そういう企業の代表が前述のwal-martであり、いわゆる日本でもたくさんあるディスカウントストアなわけですけど、アマゾンほど強烈にはできない。少なくとも利益を度外視したりしない。国内で家電量販店が登場したときは、その低価格に消費者は喜んだけど。けれどもそれは消費者が値段をきめていたわけでなく、メーカーから価格決定権を奪い、きちんと利益をのせた「従来の価格決定方程式」にのっとったものだった。だからいま店頭でアマゾンの値段と比較されると、利益が出ないと悩んでいる。

「顧客に価格を決めさせる」これを実現するためには、テクノロジーの活用だけではなく従来の価格決定方程式上で利益を得てきた既得権益を破壊していかなければならない。アマゾンの20年程度の歴史を振り返っても、米大手書店バーンズアンドノーブルとの戦いや電子書籍参入における著作権者や出版社との戦いなど、文字文化にとって良いのか悪いのかよくわからないような既得権益の破壊を行ってきた。なぜそんなことを、問答無用でできるのか。保守勢力から圧力がかかっても批判を受けても経営がゆるがないのか。それは消費者、つまり顧客が望む値段を実現するその一点を目指しているからだ。

そして、その戦いに次々と勝利してきたからこそいまの18兆円という企業価値が存在する。なぜ、既得権勢力に勝利できてきたのか。それは消費者を味方につけているからというより、ネットの力学をうまく利用しているからだ。ネットはあらゆる情報をフラットにする。もし情報に偏りがなくなれば企業だろうと個人だろうと力が均衡する。だとすれば最後は支持者が多いものが勝つ。消費者を味方につける(顧客に価格を決めさせる)ということはネット上では最高のマーケティングだからだ。

ジェフ・ベゾス氏は言う。「AWS(Amazon Web Service)を開始したときに圧倒的な低価格を目指した。なぜなら、iPhoneの二の舞になりたくなかった。iPhoneは利益を出すために高い値段をつけた。そして売れたから利益も出た。けれども同時に多くの競合も市場に引き連れてきた。そしていずれアップルは儲からなくなるだろう。私は違う。顧客の望む価値だけを追求し、そして最後に儲ける。それがアマゾンだ。」


アマゾンCEO ジェフ・ベゾス氏(50歳)

@ankeiy