マレーヴィチという芸術家に惹かれた理由

私がマレーヴィチになぜ惹かれた理由は3つあります。ひとつはマルセル・デュシャンとの対比、もうひとつは社会主義リアリズムの中での葛藤、そして3つめはジャクソン・ポロックとの共通点です。

マレービィチの「ナイフ研ぎ師」という作品を見たとき、これデュシャンの「階段を下りる裸体No.2」に似ていると気づきました。デュシャンはパリ、マレーヴィチはペテルスブルグまったく違う場所にいる芸術家が、ほぼ同時期に、キュビスムと未来主義の影響を受けて、同じようなコンセプト(動きのある人物をキュビスム)で描いたということにすごく興味を持ちました。デュシャンはこの「階段を下りる裸体No.2」がキュビスムの作家たちに酷評されて、絵画への希望を捨ててしまうわけですが、翌年、絵画の世界への反抗?として、レディメイドの最初の作品「自転車の車輪」を発表します。
一方、マレーヴィチキュビスムから未来派に傾倒し、翌年には友人のマーチュシンらとのオペラ「太陽の征服」の舞台衣装デザインを担当しスプレマチズムというアイディアにたどり着きます。
機械化が進む大量消費社会の中からそのエッセンスを取り出すことで芸術作品の可能性を広げた「レディメイド」と、無対象の世界から絵画の独立を目指した「スプレマチズム」まったく違った方向のように見えますが、どちらも大きな共通点があります。
それは従来の絵画への反抗です。マネから始まったと言われるいわゆる古典絵画への挑戦は、印象主義表現主義キュビスムなどを経て、1913年から15年に、この二人を通じてものすごい飛躍をしたということです。なにせ絵画は描く対象を必要としなくなったわけですし、キャンバスすら必要ないということにしたわけですから。
その後、デュシャンは民主主義の国、アメリカで評価を高め、亡くなるまで世間を煙に巻くような個人主義的で非絵画的な芸術で挑発し続けます。マレーヴィチ社会主義の国、ソビエト連邦で、スプレマチズムを利用した建築や教育を通じてユートピアを目指す集団的な行動にコミットしていくわけです。

マレーヴィチに関する書籍を何冊か読んだのですが、その中では必ずといっていいほど「マレーヴィチは御用画家なのか」という論点が出てきます。ボリシェヴィキ政権を支持していたマレーヴィチは、革命後、自分の保身のために本来やりたい芸術活動を捨ててしまったのではないかとう疑問です。もっと言うとスターリンに媚をうるような活動をしていたのではないかという見かたです。
確かにロシアのアバンギャルド芸術は、革命後、否定されはじめ、スータリン時代に入ってからは完全に社会主義リアリズムにとって変わられたようです。世の中の変革に同期させて、芸術を考えてきたアーティストたちの中には、革命後そのエネルギーのやり場を失い、挫折していく人もいたと思います。社会の価値観が180度変わるわけですからね。けれどもマレーヴィチは自分の芸術と政治を同居させることに成功したように見えます。もちろんスターリン時代に活動範囲はどんどん制限されるのですが、最後までスプレマチズムを社会主義国家で役立てることに情熱を傾けたようです。
なぜカンディンスキーのように国を出なかったのか、そこまで社会主義国家にこだわるのか。そこにはレーニンを崇拝していたからというような推測もあるようですが、私は彼の中にある崇高な「芸術至上主義」がそうさせたのではないかと思いました。
彼は1915年の黒い正方形を発表した展覧会で、この絵を通常、家の中のイコン(キリスト)を飾る場所に置きました。これはすごく過激なことです。わたしたちの感覚で言えばお寺の仏像を違うものに置き換えてしまうようなことでしょうか。彼は絵画の持つ力を宗教以上と信じていた、だからこんなことができたんじゃないでしょうか。
そこまで絵画の、芸術の力を信じていたからこそ、激動のソビエトにとどまることができたのではないでしょうか。

先日、近代美術館でジャクソン・ポロック展を見てきました。25年前にもMOMAで回顧展を見ているのですが、そのときはまったく意味がわかりませんでした。しかし、今回はポロックのすごさを少し感じることができました。目の前に見たことない2次元の世界が広がる。まさに絵画じゃないとできないと実現できない視覚のマジックだと思います。キャンバスを床において、絵の具を垂らしながら、筆を使わない線を無数に重ねていくアクションペインティングで一躍有名になったポロックですが、このやり方だと絵画自体、かなり偶然性に頼っているように見えます。
ところが、ポロックはインタビューなどで偶然性を否定しているのです。これは自分の意思で作り出しているものだと。
もし、ポロックが偶然性を期待していないなら、これはマレーヴィチのスプレマチズムに非常に近い絵画ではないかと思いました。あの無数に重ねられた絵の具がたれることで重ねられた線は、実は無対象の線なのかもしれないのです。
美術評論家クレメント・グリーンバーグポロックを論理的にバックアップしていた話は有名ですが、そのポイントは「2次元の絵画ならではの視覚世界を生み出したこと」であり、それはまさにマレーヴィチがさかのぼること35年前に実現しようとした絵画世界そのものではないでしょうか。

もちろん、モンドリアンカンディンスキーによる抽象絵画の本流は脈々と流れてきたわけですが、個人主義自由主義の中で好きな絵が存分に描けるはずなのに、酒に頼り、自殺に近い事故という不遇の最後を迎えるポロックのピュアさと、社会主義の中で次第に書きたい絵が描けなくなるマーレヴィチの持つ芸術至上的なピュアさは国も時間も違うはずなのに、どこか伏流でつながっていたように思えるのです。

こんなことを書いていたら、うちの中学生の愚息がやって来て、「何やっているの?」「またくだらないブログを書いているの?」「そんなの誰も興味ないよ」「食べ物の話とか書いたほうが良くね?」とか言っています。何とかしてください。事実で悲しい。@ankeiy