犬とTolerance(寛容)の関係について

ぼくは怒っているんですよ。だって、近所のシェパードがウンコかたづけないんです。警察犬に
似ているからって大きな顔しやがって。ウンコくらいきちんとしろですよ。今度会ったら、きっぱりと言ってやろうと思っているんですよ。「オレはリアルタイムでトミーと松、見ていたぜ」って。あ、もちろん、ウンコかたさないのは飼い主がいけないんですけどね。だからといって犬を許すわけにはいきません。でも、日本語通じないかもしれませんね。シェパードって彫り深いんですよ。昔からぼく外人に弱いんですよね。ドイツ語話されても困りますね。


ぼくは犬と散歩に出ると、ちゃんとウンコを確保しますよ。オシッコもペットボトルに入れた水で洗い流します。これ、犬飼う人の常識ですよね。想像してみてください。駅のトイレに駆け込んだとき、前の人のウンコが流されずにそのままにされていたときのショックを。その常識はずれの行為に便意喪失ですよ。でもね。一部、モラルのない飼い主もいるんですよね。するとね。犬飼ってない人や犬が嫌いな人から犬を飼っている人がみんな嫌な目で見られるんですよ。ちゃんとやっているぼくさえもですよ。犬を飼うやつにろくなヤツはいないってな目で見られるんですよ(こういうのを間違いなく被害妄想って言うんですけどねw)


この前、成城でウンコ捕獲器を持って歩いているおばさん見かけましたよ。犬がウンコしそうに
なるとそれをさっと犬の尻の下に持っていってキャッチするんですよ。代々木公園でゴーストバスターみたいな器具背負っているおじさんも見ました。犬がおしっこすると、圧力噴射水でそれを洗い流すんですよ。こういう明和電機的な人たちっていうのはたぶん、日々被害妄想に悩まされているんですよ。間違いありません。


まあ、犬を飼わない人の気持ちわからないではないですよ。自分たちは飼っていないだから、「私たちに一切迷惑かけないでね」って思っているわけですよね。でもですよ。ぼくは今日ここで言いたい。本当に犬を飼っていない人は、「犬のお世話にはまったくなっていないのか?」ということについてです。たぶん、この問題に言及するのは、世界でぼくがはじめてですよ。結論から先に言いましょう。


「犬を飼ってない人たちも、犬に多大なる恩恵を受けている。」


まあ、犬じゃなくてもネコとかでもいいんですけどね。もっというと、人間のペットを飼うという太古からの生活習慣に多くの恩恵を受けているんですよ。


まずですよ。普通、ぬいぐるみとか見たら「きゃーかわいいー」とか言いますよね。たとえそのぬいぐるみがゴリラでもトラでもゾウでもです。このどんな動物を見ても「かわいい」って思う感情、実はこれ、人間が犬やネコを飼うことによって生まれているのです。犬やネコが人間にすりすりしてくれるおかげで「動物=かわいい」の感情が生まれているのですよ。
もしですよ。人間が犬やネコを飼っていなかったらですよ。ゴリラのぬいぐるみに「かわいい」
なんて思いません。その感覚はもちろん「怖い」です。あのみんなが「かわいくて抱きつきたい」と思っている、パンダさえも。恐怖で逃げ出したい動物になること間違いなしです。ディズニーランドなんて生き地獄ですよ。恐ろしい動物だらけですからね。ネズミのお化けもいますしね。つまりですよ。犬を飼うという行為が、人間の文化の根底をなす「カワイイ」という概念を生み出しているのです。これは今度、四方田犬彦先生にもお伝えすることにしましょう。
(関係ないけど、四方田先生って名前に犬が入っているじゃないですか!)


さらにですよ。犬を飼うことは、その犬と暮らしている人々にどれだけ安らぎを与えているか。もしですよ。犬がまったく飼われいなかったら、会社で嫌なことがあったお父さんのストレスを
誰が受け止めるのでしょうか。家で唯一愚痴を聞いてくれる犬がいなくなると新橋あたり大暴動がおきること間違いありません。子供たちは今以上にいじめに走り、学校崩壊は間違いないです。老人会なんてバトルロワイヤル会場ですよ。犬が多くの人間の怒りの感情を吸収してくれているのです。つまり、犬は世界平和をもたらしているいっても過言ではありません。ブッシュやオバマがなぜ犬を飼うのか。それは自分が戦争をはじめてしまう恐怖にいつもさいなまれているのです。その恐怖に打ち勝つために犬が必要なのです。核のボタンを押してしまうかもしれない。それを防いでいるのも犬であることは間違いないでしょう。


さらにさらにですよ。犬をはじめペットを飼うと面倒なことってたくさんありますよね。ウンコのかたづけもそうですけどね。毎日えさをやるとか、雨の日も散歩に行かないといけないとか。
毛が抜けてアレルギーになるとか。家宝の家具に傷つけるとか。これらのやっかいなことは、人間に忍耐とか我慢の大切さを教えているのです。もしですよ。犬がまったく飼われていなかったら、誰もiPhone 4Sを買うためにappleショップの前に並びません。NHKのインタビューに「新しい商品を見るたびにワクワクしちゃいます」なんて歯のうくようなこと行儀よく答えません。もう略奪が行われるくらい一斉に突入してぐちゃぐちゃになること間違いないです。ところが、ペットを飼うことで、がまんできる人間が増えたことで、2日も徹夜して待つという人間社会の秩序が成り立っているのです。


どうですか。ここまで読んだあなたは既に気づいたはずです。犬を飼うという行為がいかに社会のためになっており、犬を飼っていない人たちを救っているかということを。つまりですよ。自分は犬を飼っていないからといって犬を飼っている人を白い目で見るような行為は間違いであるということなのです。


もう一歩踏み込みますとですね。ぼくがわざわざ犬の話を持ち出してまで言いたかったことは、
○○していない人が、○○している人を批判する。あるいは○○しない人を○○する人がばかにする。というような行為がいかにバカげているかとうことです。逆の立場の人が実は自分のいまの立場を相当助けてくれている。だからこそ逆の立場の人たちを大切にしないといけない。日本人はそのことを忘れてはいけないということを伝えたかったのです。


「寛容」・・・すばらしい言葉です。

ぼくはウンコをかたづけないシェパードを許してやりたいと思います。
だから、近所の犬嫌いのおばさんも、ぼくが散歩しているときに白い目で見ないでくださいね。


でもね。六本木あたりで夜中に、ペットショップやっているお店あるじゃないですか。商売とはいえ、犬をモノのように扱うとんでもない人間がいることも忘れちゃいけないですね。
そういう人たちだけには、絶対に寛容になりません。

@ankeiy