デヴィ夫人とリスペクトの関係
突然ですが、ぼくはこう見えても昔から数々の恋愛相談を受けてきたんですよ。自分がモテないわりに相談だけは持ち込まれましたよ。そのたびに「そりゃあ白黒はっきりさせないといけないな」とアドバイスしていたような気がしますよ。それだけ恋愛ってのは混沌とした世界なんですね。奥さん。
ところが、最近ですよ。どうも年を積むと「白黒はっきりさせること」に自信がなくなってしまっているんですよね。まあ、これまたサンデル教授に言われるまでもなくね。
原発の問題もですよ。この前、武田徹さんがコラムで指摘していましたけど、白黒はっきりさせようとした結果、賛成派と反対派の二項対立が起きて、中間の安全な原発を作るという発想が抜け落ちてしまったなんて話が「ふんとに」腑に落ちるわけです。
特に、気になるのが善悪の話ですよね。日本社会って(日本だけじゃないかもしれないけど)、水戸黄門ぽいやつ多いじゃないですか。善悪をはっきりさせて、最後に善が悪に勝ってすっきりするってやつ。子供のころからヒーロー番組なんてみんなそうだしね。
ちょっと話がずれるけど、むかし宮台真司さんがウルトラマンの怪獣は人間にとって悪なんだけど、人間の悪いところが生み出したヤツとかを登場させることで100%の善悪の対立軸じゃない世界観を作り出していることを評価していたんだけど、そいうドラマって今ほとんどないんじゃない。子供向けに。
そんな中で、よくある二項対立で金持=悪VS貧乏=善というのもあるじゃないですか。これも子供の頃からぼくらの頭の中に刷り込まれているんですよね。悪代官はぜった悪商人からのワイロで潤っていましたからね。
この前も選挙のときに、候補者のひとりが「金持ちに税金を払わせろ!」とか言っていて。ああこの人も金持ち=悪という図式を利用しているんだなとか思ちゃいましたよ。かなり、日本人はお金をかせぐことが悪いこと、そこまでいかないけど「あまりよくないこと」って常識になっちゃっていませんかね。
それで、今回デヴィ夫人のこのブログを見たわけですよ。
「私は日本を去ります!原発の為ならず、日本の追剥のような税務署の為に」
要約すると、いままで日本社会のために貢献してきたのに、税務申告のやり方に配慮がなかったために多額の税金を取られてしまったという話なんだよね。
ぼくは気持ちはわかるけどルールはルールなので、デヴィ夫人もきちんと専門家に頼まなかったりだめじゃん、と思うのだけど。デヴィ夫人が日本を去るまで決断したのはもっと別に理由があったんじゃないかなという気もするんですよね。
それって何かっていうと、「リスペクトがない」ってこと。尊敬ですよ。奥さん。税務署も裁判所も日本社会全体がルールで押して、デヴィ夫人への尊敬を失ってしまっていたんじゃないですかね。ボランティアして多額の税金を納めてくれているのに。
あまり海外と比較するのは好きじゃないけどね。米国だとビルゲイツやバフェットのような超金持ちが生前に多額の資産を寄付したりするじゃないですか。金持ちが美術品を買って美術館に寄付するってのも日常的ですよね。けれども日本ってそういうのあんまりないですよね。
それって、お金かせいだ人や税金をたくさん払えた人へのリスペクトの概念の差だとおもうんですよ。あるいはそれをささえる仕組みがないからじゃないかと思いますよ。
まあ仕組みがないことはわかりきったことですよね。子供のころから金持=悪が刷り込まれているぼくらですからね。つくれないですよね。孫さんが「100億円寄付します」っていても、金持ちだから当たり前だよね。なんて空気が結構ながれていますしね。
お金をかせぐってね。お金を稼ぐことを目指しても、稼げないと思うんですよ。絶対に。何か社会に付加価値を生んで、それが評価されてはじめて生まれるものだと思いますよ。(もちろんゲームに勝たないとダメですけどねw)
デヴィ夫人もね。いろんな意味で価値を生んでいると思いますよ。その価値に対して日本社会からのリスペクトがあれば、また戻ってきてくれるじゃないですかね。
少なくともぼくもそっちの社会のほうが住みやすいですね。