1日4合は食べられない件について
子供のころ「雨ニモマケズ」にはじめて出会ったとき「サウイフモノニワタシハナリタイ」と僕には思えませんでしたよ。自分を勘定に入れなかったら、お菓子もみかんももらえないでしょ。でも大人になったいまは、少しわかります。デクノボウと呼ばれたい感。1日4合は僕には多すぎますけどね。
最近も渡辺謙が朗読したり、僕の隣の人がこれを読んで心を落ち着かせていたり。宮沢賢治が岩手の出身ということもあるのでしょうか。久しぶりに僕も紙に書き写して、声に出して読んでみましたよ。
宮沢賢治って人は、生まれた年と死んだ年に大きな地震があってまさに震災の人なんですね。今回の大震災ではじめて知りました。
「風の又三郎」とか「銀河鉄道の夜」くらいは人並みに読んだことありますけど、深く記憶に残っているようなことはないですよ。いじめっ子のシーンとか自分に重ね合わせたりしたと思いますが。
ただ、「注文の多い料理店」だけはよく覚えているんですよね。
叔母さんから借りた本をせんべい布団の中で夜一人で読んだ記憶があるわけです。
当時僕が住んでいた場所は、冬に何度か強い風が吹くんですよ。木造で廊下があるサッシじゃなく木枠のガラス窓が入っている家はこの風が吹くとガタガタと音がして、これが怖くてね。追い討ちかけるように小学校4年のときに隣の家が火事なったことがあって。それ以来夜がすごく怖かった。そんな夜に「注文の多い料理店」は僕に不気味などよんとした感じを残したわけですよ。
で、昨日本屋でこの話を手に取ってね。読み直してみたわけです。そしたらすごく示唆に飛んでいてね。このブログを書こうと思ったわけですよ。
この童話は「強欲で自分勝手な人間が、おなかを空かしてレストランに入ると、自分たちが注文するんじゃなくて逆にさまざまな注文が出されて自分たちが食べられそうになる」っていうトンデモ話なんだけど、この話は完全に今回のような大震災のメタファーなんだよね。
自分たちのことだけ考えて原発作って、勝手に○メートルなら津波は大丈夫ってコストで割り切って、結果とんでもないことに巻き込まれているという。
でもね。宮沢賢治の希望は、最後にこの合理的な人間が助かるところだよ。話の中では犬に助けられるんだけど、この犬がたとえられているのは、自分たちの欲のために切り捨ててきたようなもの。都合が悪くて忘れてきたもの。なんだろうね。やっぱり「思いやり」とか「自然への畏怖」なのかな。
最後の一文は、助けられた後の人間の描写なんだけどこう書かれている。
「しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。」
「雨ニモマケズ」の中に、「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」「サムサノナツハオロオロアルキ」ってフレーズがあるけどね。大人になると考えさせられるね。残りの生き方、どういうのがいいのかってね。僕は1日に4合は食べられないけどね。