「消費かよ」という視点でとりとめのない未来の話をしてみましょうか

突然ですが、世の中にモノがなかった時代は生産者がものすごく強かったわけです。手作りしていたものが工業化され、大量生産され、科学の進歩とともに何度も人間社会はイノベーションをおこしますが、主役はいつも生産者でした。

少しその景色が変わったのがアメリカでスーパーマーケットなどの小売業態が誕生したからです。この流れは戦後日本にもどっと入り込んできます。総合スーパーは規模のメリットを利用して消費社会で成長していきます。このときは売り方にイノベーションが起こったわけです。生産者は作ったものをたくさん売って儲けたい、消費者は生産者が作ったものを購入して生活をもっと豊かにしたい。その両者のニーズをつなぐものがまさに小売流通業だったわけです。しかし、はじめは良好に見えたこの生産者と小売業者との関係は時を経てぎくしゃくし始めます。両者の目的に次第にずれが生じてきたからです。

生産者は「できるだけ高く売って儲けたい」あるいは「生産と価格をコントロールしたい」、小売業者は「できるだけ安く売って消費者を喜ばせたい」あるいは「でいるだけ安く売って他の競合する小売業者に商売で勝ちたい」と考えるようになりました。「そんな安く売るんだったらお前のところには商品を卸さないぞ」という生産者、正規のルートじゃない、倒産品でもいいからとにかく現金で仕入れてきて自分たちの値付けで売る小売業者、そんなにらみ合いのケンカがはじまったわけです。

しかし、これもしばらくすると、結論が出ます。その答えを出したのは消費者です。消費者は「安いほうがいいに決まってるじゃん」と言ったのです。結果、小売業の大勝利で、小売業者は生産者から次第に価格のイニシアチブを手に入れることに成功します。「おいおい、消費者様がそう言っているんだぞ。生産者はその値段で作らなきゃ売れないぞ」「お前らの利益はお前らの知恵とコスト削減で出すように」と。こんな感じです。

この時に生産者が消費者に対する価格決定の優位性を手放すことになったもう一つの理由に生産者が直接小売流通をネットワークしてしまっていたこともあります。モノがない時代は自分たちの商品を直接消費者に届けるための独自のチャネルが有効に機能していたんですが、いざ多商品時代になると、他社製品と比較検討できないこの独自チャネルが逆にお荷物になるわけです。いわゆる「負の資産」です。生産者が持っていた小売機能が小売業者との戦いでお荷物になる皮肉な話です。

さて消費社会の一面をみているので誤解がないようにしてほしいんですが、もちろん生産者がまずモノを作らないと小売業は売れないわけなので、その生産者の地位が下がったというわけじゃないんですが、誰がモノづくりのイニシアチブを持ったかというと消費者とより近い位置にいた小売業だったということです。

そしてここからは小売業が消費社会のリーダーとなります。まずは総合スーパーがけん引し、次にドンキーのようなディスカウントストア形態、ヤマダ電機ユニクロニトリのような専門店による大規模チェーンストアへと進化していきます。自動車社会や居住地のドーナツ化など社会環境やインフラの変化をうまく取り込みながら消費者のニーズを満たしていくわけです。その最高峰に位置するのがコンビニです。もっとも消費者に近いラスト100メートルの商圏を築くことで消費者の懐に飛び込むことに成功したわけです。そこで吸い上げられた消費者の声はモノづくりの情報としてフィードバックされ、ヒットすることが当たり前のようなプライベートブランドが次々に誕生します。従来のような生産者と小売業者というようなカテゴライズすら破壊されてしまう新しいイノベーションです。小売業の生産者化です。小売生産業の誕生です。

現在も小売業がイニシアチブを取って消費社会は変化して続けています。そしてその最大の焦点はネット社会からテクノロジーとともにやってきたEコマースです。既にみなさんも当たり前のように利用しはじめているEコマースが小売革命の最前線です。そしてこんどは専門店チェーンストアから価格決定権はオンラインに移りはじめています。ヤマダでTVを購入するときにネットで検索して最安値より安いか調べるなんていうのがそれです。これをシュールーミングなどと言う人もいます。リアルのショップで商品を見て、ネットで購入するというスタイルです。米国のリアル小売業なんかはこれでアマゾンにどんどん顧客を奪われて破綻しはじめているわけです。

がんばってオムニチャネルとかいってリアル店舗に顧客を呼び込もうとすることを否定するわけじゃないですけど、オンライン化の波はもう誰にも止めることはできません。もちろんバックオフィスでの物流、Eコマースを支えるソフトウェアやクラウド技術、決済サービスなどオンランショッピングの便利さを引き出すそういう機能がないと成立しないわけですが、消費者にとって一番近い場所にいて何をどうすればよいのか一番わかっているのはEコマースという業態で、これからも利便性や効率化を武器に消費社会の秩序を破壊していくわけです。

ここまでは消費者社会の主役が生産者から小売業者に移ったという話ですね。そして小売業者がPB生産機能を持ったという話。そしてEコマースの登場がさらに小売業者の立場を強化しているという話。はい。以上、前置きです。長いですね。長すぎるw。しかし、ぼくがこのブログで書きたかった話はこの先です。ここからどうなっていくのかという話です。

結論から言うと、「消費社会のイニシアチブは次は小売業者から消費者に移る」という話をしたいと思います。何言ってんだかよくわかりませんよね。消費者は消費するんだから、購入するんだから、そもそも一番強いに決まっていますからね。それでもあえてなぜ「移る」なんて、そんな話をするのかというと、それはモノを作るあるいは値段をつける決定権を誰が持つかという話をしたいからです。

小売業者から消費者にその力が移る理由は、ネットによる消費情報の可視化です。はじめはモノの価値や中身は生産者が勝手に決めることができました。そしてそれをマスメディアを利用して一方的に消費者に送り付けた。消費者はそれを信じるしかなかった。ところが小売業者が力をもってくると、消費者はその店先で選別をはじめた。店そのものがメディアになることで小売業者が消費を支援した。そしてネット社会の到来とともに、今度は消費者は店舗の情報よりネット上の消費情報を利用するようになってきた、なぜなら消費者は消費したという名の体験者でもあり、消費者の書き込んだ情報の方が企業が発信する情報や店員が進める情報よりよっぽど信頼できるからです。そしてやがて消費者自身のフィルターを通した情報は、マス広告情報や店舗情報を飛び越えて、消費活動を支援するためのメディアとなってくるわけです。消費者の消費活動の決定権は、生産者ではなく、小売業者でなく、消費者による消費者が作るメディアが持つことになるというわけです。

こうした流れまでは確実に現在進行形でおこっていると思うわけですが、問題はここから更に先です。ブログやSNSというツールを手にいれたことで消費者が消費情報をアウトプットできるようになり、従来マスメディアが行っていた、利権を利用した商品の選別・告知機能が消費者に移り、その消費活動を支える。アフィリエイトやキャッシュバックのような個人の消費情報経済を支えるインフラができてくる。スマホの普及でCtoCアプリやマーケットプレイスなど消費者が商品を売ることができるインフラができてくる。消費者自身がモノづくりに直接参加できるクラウドファンディングというインフラができてくる。そして消費者活動のイニシアティブを得た消費者は、小売業がそうなったようにメディア化を進める。さらに次には小売業がプライベートブランドを作り始めたように生産者にもなっていく。と、思うわけです。この先は消費者自身が「モノを作りモノを売る」時代が到来すると思うのです。クラウド技術は圧倒的にサーバーのコストを下げ、3Dプリンタはモノづくりの低価格化を支援する。誰もがモノを作りメディアになり、モノを売ることができる。そういう消費社会になっていくのではないか。そんな未来を想像するわけです。

「みんながメディアになるなんてありっこない!」
「みんなが売るわけない!」
「みんながモノつくるなんて考えられない!」

今は確かにそう思えます。そんな能力がみんなにあるのか?そんな手間暇を消費者がかけるはずないというのは正論です。しかしですよ。これは30年後とか未来の話です。どんなイノベーションが起きるかわかりません。というか起きないわけがありません。「今はそれを実現するためのピースがたくさん欠けている」それはよくわかります。だけど30年前は今の「インターネットのようなもの」すら想像できなかったわけですからね。「タイプライター文化のない日本人にキーボードを操作する能力はない。パソコンを使うなんて信じられない」と言っていた90年代の人々を忘れることができませんw

17年前、1999年ころ、ポータルサイトビジネスがもっとも注目されていたとき、パーソナライズされたポータルサイトを想像した起業家がたくさんいました。ひとりひとりがポータルサイトを持ち自分の好きなことやコミュニティをみんなに発信する世界感です。けれども当時SNSもなかった、CGMすらなかった中で、そのパズルが組みあがることはありませんでした。いまフェイスブックなどはそれに近づいているかもしれません。でも何かが足りない、かもしれません。その何かがないと絶対それはできないわけです。できるためには次の何かを動かすイノベーションが必要なのかもしれません。

その昔、未来学者のアルビン・トフラーが、「第3の波」という未来予測の著書の中で、プロシューマーという概念を展開しました。プロデューサー(生産者)とコンシューマー(消費者)の融合です。個人的にはまさにそこにむかっているのではないかという気がしてなりません。そして最近は「インターネットの登場が社会を変えた」という考え方すら怪しいと思っています。「社会は必然としてそうなるために、たまたまインターネットを連れてきた」という考え方の方が正しいような気がしてきましたw

「モノを作りと、そのモノを自身で消費する」というのは、原始時代から人間がおこなってきたシンプルな営みですが、壮大な消費社会を経て、次第にそうしたミニマムな世界に再びもどっていくのではないか、肥大化したコミュニティは、複雑化した市場は、テクノロジーの進化を経て再び「個」にもどっていくのではないか。そしてそれが人間社会の必然ではないのか。など考えながら最近は猫のフンをかたずけ、犬の散歩をしています。犬の幸せは猫の幸せとは違う。犬も猫も人間の幸せとは違う。みんな違う未来があるわけですね。何言っているか意味わかんないですよね。そんなわけでとにかく、ここまで読んでくれた皆さんにはひとりひとりそれぞれの幸せが訪れることを願うわけです。

@ankeiy