2020年、偽装のない東京へようこそ。

誰もいない蕎麦屋で、店主はぼーっとTVのニュースを眺めていた。もうこの国ではテレビと呼ばないほうが良いかもしれない。画面にはたくさんの文字が並びニュース原稿を読むアナウンサーの顔などもうほとんど見えなくなっていた。「映像はカメラマンの意思により現場の一部を記録したものであり真実と異なる場合があることをご容赦ください」とか「アナウンサーの表情や声のトーンが事実をミスリードする場合があることをご容赦ください」とか、視聴者に対する免責のための文章が並んでいた。はじめは1行だったものがここ数年で急速に増え、今ではニュース速報のテロップも流せないほどになっていた。もし、2013年に住む人がこれを見たらニコニコ動画か何かだと思うだろう。だが現実は違う。これはれっきとしたNHKの午後7時のニュースなのだ。

店のテーブルに無造作に置かれた新聞の一面には大きな文字で「注意:記事は偏った情報で書かれている場合があります。また、事実とは異なる記者の思い込みで書かれる場合があることをご容赦ください」と書かれていた。何年か前から、たばこの注意書きと同じような文言を新聞題字横に30ポイント以上の級数で表示しなければいけないことが法律で決まっていた。

なぜ、こんなことになってしまったのか。そう、それは東京オリンピック開催が決まった年、7年前にまで遡る。ことの始まりは、関西のホテルで見つかった食材の偽装問題だった。ところがその後、偽装探し、いわゆる偽装狩りがあっという間に全国に広がった。いわゆる第二次偽装問題ブームが起きたのだ。誰かがネットで怪しいといい始める。それをマスコミが取り上げる。そして、それがさらにネットで拡散する。そんなことを繰り返して偽装排除は広がっていった。ところが、ある時点で調子に乗って偽装問題を取り上げていたマスメディアに飛び火したのだ。当時、テレビ番組でやらせが問題になっていたことも実にタイミングが悪かった。そして市民はマスメディアの過剰演出に「偽装問題」の矛先を向けたのだった。

まず最初にやり玉に上がったのは、朝のワイドショー番組を長年仕切っていたキャスターの「ズラ」だった。結局、キャスターが自分の禿げを偽装していることは、事実を伝えるマスメディアの使命を踏みにじっているということになり、そのキャスターは降板に追い込まれた。

マスメディアにおける偽装が次々に指摘されるようになり、アイドルの平均年齢は3歳アップした。厳しい整形手術チェックが行われたため、永久追放されたタレントも後を絶たなかった。こうなると高須先生がどんなに「イエス」を「ノー」に変えて叫んでも後の祭りだった。結局TV業界は、このままでは存続が難しいということになり、「金融会社や通信会社などの消費者からうまく責任を逃れる契約書」に書かれている免責条項を徹底研究し、その文面をTV画面に表示することで「偽装」を「あってはならないもの」から「あってもしかたないもの」に置き換えることにした。けれども、免責と引き換えにTV画面は文字に覆われ、メディアの命ともいえる映像を失ってしまった。


ビジネス的にも様々な影響があった。まずはカツラメーカーは全滅した。美容クリニックも大打撃を受けた。そもそも偽装をほう助しているのではないかと糾弾された化粧品メーカーも基礎化粧品を残して海外に逃げて行ってしまった。。

食料品業界、流通あらゆる業種に大きな影響が及んだ。駅前にあったハンバーガーチェーン店はそもそも偽装を否定したら商品が提供できないということであっという間に店を閉めてしまった。
もちろん、3代続く手打ち蕎麦の老舗だったこの店主のお店も大きな打撃を受けた。これは市民から直接追求されたということではなく、世の中の空気が真面目な性格の店主を追い込んでいった。
まず店主が悩んだのは、お店のキャッチフレーズ「手打ち」という文言だった。最近年齢的な体力の衰えから、しかたなく蕎麦打ちの時間を短縮していた。本来必要と思える「こし」を出すまで時間をかけることができなくなっていたのだ。店主はそんな自分が許せなかった。これは偽装だ。店主はやむをえなく「手抜き手打ち」に変えることにした。店の前のカンバンやのぼり、店内のメニューなどに「手抜き」の文字を付け加えた。

蕎麦屋の定番メニューのかつ丼も以前から「肉が薄すぎるんじゃないかなあ」と不安に思っていた。そこで生真面目な店主は「かつ丼」とはせずに「カツの薄さを”ころも”でごまかしている丼」という名称に変えたのだった。そしてもちろん、店主が偽装問題に取り組めば取り組むほど、客足は次第に遠のき、店は閑古鳥が鳴いていた。

「なぜ、こんなことになったのか」店主は頭をかかえた。

そもそもホテルのレストランメニューに端を発した偽装問題であったが、その裏にはもっと大きな背景があった。それは2000年初頭に流行りはじめたソーシャルネットワークとかいうサービスだった。米国人のザッカーなんとかという創業者が声高々に「我々はすべてをオープンにする隠し事はいけない」なんて言い出したものだから、ネット上に様々な消費情報が集まり、いつのまにかそれは企業やマスメディアの情報発信力より大きなものとなった。ネットで力を得たネット市民たちは、次々に不正をあばき、問題がある企業を糾弾していった。それはまるで白鳥とカラスを選り分けるようなものだった。グレーという色はなかった。一度カラスの烙印を押されるとその企業は二度と消費者の前には戻ってこれなかった。企業経営者はカラスの烙印を恐れ、あらかじめ積極的に偽装を排除した。

蕎麦屋の店主もこの空気に逆らえなかったのだ。

そして、店主はいま最大の問題を抱えていた。店主はそれを「アニマル問題」と呼んでいた。


「たぬきそばの中にタヌキが入っていないのである」

「きつねそばの中にもキツネがいないのである」

これは店主から考えると明らかな偽装だった。老舗として祖父の代から受け継いできた蕎麦屋の魂とも言える商品名にさえ自信をなくなってしまったのだ。

次の日、蕎麦屋の壁には新しいメニューが並んでいた。
たぬきの文字が消され、その横に「天かすふりかけそば」の文字が踊っていた。

TVからは東京オリンピックに出場する外国人選手団を「お・も・て・な・し」するニュースが流れていた。

偽装のない東京へようこそ!


@ankeiy