成功した人が幸せでなくなる理由について

昨日、人気ブロガーちきりんさん「教育に関心があると言い出したらその人はアガってる」とつぶやいて論争が生まれていました。確かに何かを追い求めている人が、その追い求めることをやめて後進の教育をしようと考えだすと、何かを追い求めていたときの輝きが失われるというのは説得力があります。

人間社会では一般的に「何かを成し遂げた人=成功した人=魅力的な人」という、考え方の等式が成り立っています。ですから、何かを成し遂げた方の講演会にはたくさんの人が集まり、本を出せばベストセラーになるわけです。ところが、ちきりんさんは、この「成功した人=魅力的な人」に対して疑問を投げかけます。「この等式っておかしくない?」と。教育という世界で、新しい目標を設定して、それに向かって努力をし始める成功者もいらっしゃるはずですから、一方的にちきりんさんの意見を支持するわけにもいけませんが、本質をついていることは確かなようです。

ぼくはこの話を聞いて、冒険家の三浦雄一郎さんを思い浮かべました。そう先日80歳の世界最高齢でエベレスト登頂を成功させた人です。三浦さんのお父さんもすごい人で、99歳でモンブランでスキーをしています。三浦家は生涯現役主義なのでしょう。けれども、もし三浦雄一郎さんが自分で山を登らずに70歳くらいから後進の指導にあたっいたらどうでしょう。たぶんぼくは三浦雄一郎さんに今オンタイムで魅力を感じることはできなかったでしょう。もしどんなに長生きをされていたとしても。彼の一言一言からこぼれる魅力もなくなっていたことは間違いないでしょう。

この三浦雄一郎さんが、先日テレビで「攻めの健康法」の話をしていました。なるほどなあと思ったんですが、体に負荷をかけることで、精神的に優位に立つというような考え方です。病は気からといいますから、体と同時に気持ちを元気にさせる必要があるというわけです。攻めて攻めて「俺はここまで頑張れる」ってのが最高な薬になるわけです。先日、40歳以上のランニングは不健康というお医者さんの発言が話題になっていましたが、このお医者さんの考え方は老化していく肉体に対して守りの話が中心です。三浦さんの「攻めの健康法」なら、どんどん走れということになるでしょう。心の元気はフィジカルなバランスより健康に良いというわけですから。

ちょっと話がずれましたが、ちきりんさんが言っていた「現役で何かを追い求める」と三浦さんの言っている「攻める健康」って分野は違うけど実は同じことを言っているんじゃないかと思います。人間が活き活きと生きるためにはどちらも攻めが大切であると。もっと言うと、周りから見て魅力的かどうかという問題よりも「自分自身で今の自分をどう感じるのか」という根源的な「幸福感」にかかわっているような気がしました。

孫さんのような「莫大な資産を得た経営者が幸せなのか」、イチローのような「すばらしい記録を打ち立てたスポーツ選手が幸せなのか」これはご本人からしてみたら、結果なんて幸せの尺度にまったく関係なくて、いま目の前に燃えるようなチャレンジすることがあるかどうかということが全てなのかもしれないと思えてくるわけです。

「攻める」「追い求める」このことの大切さを実はぼくたちは、小学校時代くらいに学んでいます。それは、鬼ごっこのときの「逃げる人」と「追いかける人」の心情の違いです。逃げる人はいつも不安を抱えて視野が狭く、追いかける人はたとえ足が遅くても周りがよく見えて、落ち着いて、戦略的に行動できます。かくれんぼでも、隠れる人はいつもそわそわドキドキ、見つける人は心にゆとりがあります。いざなったら見つけることをやめて家に帰ってもいいくらいですw。

孫さんの名言「髪が後退しているのではない、私が前進しているのだ」も、孫さんが攻める姿勢を取り続けるからこそ、ぼくたちにたいへん魅力的に響くのです。そして何よりもご本人が攻めることに、至高の幸せを感じていることも感じることができるわけです。

ぼくたちは三浦さんや孫さんやイチローのような特別な才能はないかもしれませんが、攻めることだけは同じようにいつでもできます。そしてそれが幸せの尺度のひとつだとしたらぼくたちはいつでも幸せ近づくことができるわけです。

それにしても「荻上チキさんとちきりん」さんの混同が話題になっていましたが、ぼくには「ちきりんさんときちりんさん」が大変なことになっていますw

そんなことにくじけずに、2013年秋、攻めましょう。

@ankeiy