バカの種類と傾向と対策

「バカ」という深淵かつ禁断なテーマに触れることには、少し気が引けるのですが、復興相の、「私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカなやつがいる」発言などを聞いてしまうと、考えずにはいられない難儀でバカなぼくです。


それにしても、最近バカに関するニュースが多いですね。授業でアルファベットの書き取りをさせていることを週刊誌にバカにされていた大学もありましたしw。ギャンブルで100億も会社のお金を使いこむ大企業の社長とか、自分で掘った穴に落ちて死んでしまう方とか、猛獣の檻の鍵を開けて、自殺してしまって町をサファリパークにしてしまう方とか、個人的には皆さんに「バカ」の称号を与えたいと思います。(怒らないでね)


バカっていうとまず頭に浮かぶのは養老先生の「バカの壁」です。これ読まないやつはバカって呼ばれそうなくらいなベストセラーでした。結局、人間には分かり合えないバカの壁があるというちょっと科学的な話でした。ベルリンの壁が崩壊できたのだからテロの壁も打ち壊せるという安易な気分に水を指すところにその価値があったのかもしれません。「釣りバカ日誌」なんていうのもみんな知っていますよね。仕事もせずに釣りばかりするバカなサラリーマンという設定に、仕事ばかりしていたサラリーマン社会がしびれるのにそう時間はかかりませんでした。あ、そうそう、これを忘れちゃダメですね。赤塚先生の傑作「天才バカボン」。高度経済成長で、日本人はみんなまじめに文化的で知的な生活を目指して働いていました。そんなときに登場したのが「バカボンのパパなのだ」なのですよね。はじめちゃんが天才であるという未来に夢を残しつつ、くそまじめな世の中へのカウンターパンチとして存在したバカボンのパパは子供たちを中心に圧倒的な支持を受けたわけですね。


こんなふうに昭和からの「バカ」のコンテクストをぱらぱらとめくると、時代の対岸にある概念を取り出して、バカなんだけどこんな考えもあるよねっていう提案ものが多いんですよね。ベストセラーのライトのベル「バカとテストと召還獣」ってのも結局なところ、お勉強最強社会の中で、純粋な心を持つバカを扱って、召還獣という現代のアイコンと絡ませることによっておちゃらけながらもしっかり世の中の対岸を目指す設定なんですよね。


ぼくは関東なんでわからないですけど、関西の人のバカってのは相当強烈な侮辱を持つっていうのはよく聞く話ですよね。昔、探偵ナイトスクープで「バカ」と「アホ」の方言の調査をしていてすごく興味深く思ったことがありますが、地方では言い方もニュアンスもみんな違うんですよね。いろんな言い方があるにしても、人が「バカ」って言葉を使う場合、侮辱する悪い意味と、愛情や好感のこもった「かわいいやつ」という良い意味の二つを使い分けていることは間違いないですよね。


今回の復興相の発言も「悪い意味」なのか「良い意味」なのかというのがテーマなようで、自民党やマスコミが悪い意味にとって批判すると、ネットや知識人が「そうじゃないだろう良い意味だろう」という図式でしょうかね。そこで、ぼくもこの「バカ」という言葉がどういう具合に悪い意味と良い意味にわかれるのか考えてみました。それが次の図です。まず「バカ」の重要な要素である、迷惑具合を横軸に、バカにかける意気込みといいますか情熱を縦軸にバカを分解してみました。

すると、当然ですが、人様に迷惑をかけるバカは悪い意味が強くなります。死ぬ前に町に猛獣を放つような人ですよね。ところが、人様に迷惑をかけてもそのバカに情熱があると良い意味をおびてくるようです。そのバカなことに人の心を揺り動かすようなものがあると、良いバカにもなりうるのです。人様の迷惑にならず、ひとつのことに没頭し続けその分野のトップに立つような情熱家は愛すべきバカの最高位に到達します。たとえば、冒険家の植村直巳さんなんてのはまさに神の領域です。(こんな例で取り上げてすみません)漫画だと釣りバカ日誌の浜ちゃんとか、ぼくらの時代だと「空手バカ一代」の大山倍達とかですねw。逆に最悪なのは情熱もなく人様に迷惑をかけるヤツですね。これが悪意の最高位「真のバカ」です。


それでは、今回の復興相の場合はどのあたりにポジションされるでしょうか。まずは津波が来たのに逃げなかった同級生の方ですが、何か人様に迷惑をかけているでしょうか?亡くなってしまったことで周りの人を悲しませているかもしれませんが、直接の迷惑は何もありませんよね。次に情熱ですが、津波が来たときに油断はあったかもしれませんが何もせずに飲み込まれたのでしょうか?そんなことないですよね。生きるために必死にもがいたんじゃないかと思います。すると復興相が発した「友人に対するバカ」発言の「バカ」はどこに置かれるでしょうか。間違いなく、良い意味、つまり「愛情のこもったバカ」のほうですよね。


なんで、ぼくがこんなバカバカしい理論を持ち出してまで、このバカバカしい話をしたかというと、世の中、こんなバカバカしい話をするほどバカバカしいということです。だからみなさんに言いたいのは、バカバカしい人たちの話を、あーだこーだ話すより、自分自身で愛されるバカを目指しましょうということが言いたかったのです。

常に時代は愛すべきバカを恐れています。そして歓迎もします。

@ankeiy