スイッチはONとOFFだけじゃない件について

「最近の若者は困ったもんですね」って同意を求めたら、竹原慎二さんに「エラそうに言うな」と一喝されたのはぼくではありません。だってぼくが困っているのは若者じゃなくてスイッチですもの。
最近のテレビってどこにスイッチがあるかよくわからないですよね。毎回探しちゃうんですよねメイン電源。ぼくが若かったころはよかったなあ。TVもラジオもスイッチが堂々としていて、ここにありますから、早く押すなり回すなり好きにしてくださいって。潔かったもんです(遠目)
おっと、話がずれまくっておりまする。そんな話を書こうと思ったわけでありません。ぼくが書こうと思ったのは人間のスイッチの話でした。


ちょっと話が飛びますが、たとえばですよ。親の中には「子供は健康で育ってくれさえすれば何もいらない」って気持ちと、「健康だけじゃだめ、もっと勉強していい大学でて成功してほしい」って気持ちが両方同居してたりしますよね。これ子供から確実に突っ込まれますよね。「かーちゃん、言ってることが矛盾しているじゃん」ってね。
ほかにも経営者の中には「雇用をできるだけ確保して、従業員の給料上げたい」っていう気持ちと、「できるだけ人件費をカットして、儲けたいぜ」って気持ちが同居していたりするわけですよ。


つまりですよ。ひとりの人間の中に、矛盾することが複数存在していることってあたりまえなんですよね。ところがですよ。そう思っていない人も多いでんですよね。よく議論しているところにいあわせると、結構この矛盾をついてくるわけですよ。「あなたは以前こういったのにいま言っていることはおかしい」とかなんとか。原発の議論なんかちょっとそんな気がしますよね。


ぼくが子供ころ大切にしていたラジオには「AM」「FM」「SB」って周波数の切り替えスイッチがついていたんですけどね。これ切り替えないと当然その周波数帯にある放送局は聞こえないわけですよ。人間もね。このスイッチの切り替えが肝心なんだと思うんですよ。親ならいま「健康のことだけを考えてるモード」なのか「野心あふれているモード」なのかお互いのスイッチを合わせて話さないとね。


今度のどじょう総理、結構スイッチいっぱい持っていそうですね。なしろ自分は泥臭くてアナログだということをアピールしている感じですから。昭和のTVのようにでかでかとチャネルがついていそうですね。でもね。結局はそのスイッチがいまどこを指しているのかってのは、ぼくらが目を凝らして見るしかないんですよね。

ぼくは竹原慎二のようにかっこよくないですけどね。忘れませんよ決め台詞。「もちろん、恋のスイッチはぼくが入れますよ。」奥さん。