ホンモノを見破るのが難しい件について

昨日、隣の旦那さんがバクシーシ山下に見えましたよ。これは「本物」の欲求不満かもしれません。ぼく。


先週ちょっと気になる話がありまたよ。それはワシントンポスト紙が行ったとある実験。駅の構内で著名なバイオリニストにストリートミュージシャンをさせるというもの。朝の通勤ラッシュの時間帯だったらしいんですけどね。ほとんどみんな素通りしてしまって、最後に残ったお客さんがたったひとり。たぶん、このバイオリニストの人、その夜やけ酒あおったと思いますよ。ふんとに悲しい光景でした。


でもね。「本物」ってこんなものかもしれませんよ。世の中の自称、「本物」のみなさんも気をつけたほうがよいですね。おっと、本物が悪いわけじゃないですね。本物を見る目がない人々が悪いんですよねw。


「本物」を見破るのって難しいですよね。理由は二つあると思うんですよ。一つは本物をあんまり見ていないから本物がわからないということ。あたりまえですよね。ふたつめは先入観による妨害だと思いますよ。


このバイオリニストの実験も、まさかこんな駅に朝から著名なバイオリニストがいるわけないって、みんな思っているわけですよね。それが普段ならいい音楽に耳を止める人たちの耳さえもふさいじゃうんじゃないですかね。


話がちょっと飛んじゃうけどね。ぼくね。ときどき日本民芸館ってとこに行くんですよ。ここね。柳宗悦っていう、民芸運動を起こした人が寄贈したコレクションがあるんですけどね。ぼくこの人好きなんですよ。何で好きかというと、ぼくの名前に似ているんですよ。ウソ。この人の考え方が好きなんですね。民芸運動ってのはぼく流の解釈でいくと「つくる人も見る人も先入観(意識)を持った時点で、本物は生まれない」っていうことなんですよね。ちょっと難しいですかね。もっと簡単にいうと本物を見破るためには「直感」が必要だということなんですね。だから柳宗悦は銘のある美術品じゃなくて民間の大量に作られるような安物の工芸品の中に本物があると言い切ったわけですね。


よく美術館に行って、「今日は良いものを見たなあ」とか「本物を見たな」って思うじゃないですか。でも実はもうそれは「本物」を見てないかもしれないんですよね。だって見る前から美術館が選んだんだからそれは「本物」だろうってニセモノかもしれない先入観いっぱいで見てしまっているわけですからね。


もちろん、「本物」ってなんなんだって話がまずあるので、「本物」は誰によってどのような背景でどんな思いで作られたのかっていうコンテクストが重要だって考えもありますけどね。あんまりそんなものに頼りすぎると、デュシャンが便器にサインしちゃうわけですよね。


柳宗悦もね。実は日本民藝館を作った時点で、見る人に先入観を与えてしまっているので、自己矛盾があるような気がするんですけどね。でも見せないと本物が伝わらないしね。人間ってやっかいなものですよね。


というわけでね。「本物」を見破るのはふんとに難しいわけですね。いろいろなものをね。いい仕事を見破ろうという気持ちでね。いつも見るしかないですね。でもね。「本物」の快楽を知りたければ、いつでもぼくに相談してくださいねw。待ってますよ。奥さん。