勝間和代の宣伝責任と「それを言っちゃお仕舞いよ」

勝間和代さんがなんだか謝っているようですね。何をあやまっているのかいまひとつわからないところもあるんですが、これは言論人(だれがw)として、ひとことクギをさしておかねばならぬと思った次第ですよ。奥さん。


原発事故に関する宣伝責任へのお詫びと、東京電力及び国への公開提案の開示


ぼくが気になったのはね。勝間和代さんの言っている「宣伝責任」というフレーズなんですよ。彼女は「宣伝責任のある人間として不用意な発言をしたからごめんなさい」といっているんですよね。


これぼくおかしいと思います。宣伝責任なんて言葉使っちゃダメだと思いますし。こころの中で道義的責任くらいは感じてもいいですけど、簡単に責任取っちゃダメだと思います。それに見ているぼくらもその責任を追及しちゃいけなですよ。


だってですよ。原発を宣伝したことを責任とれって言ったらですよ。タバコのCMに出ていてる人、肺がんの責任をとれ。ビールのCMに出ている人、アル中の責任とれ。車のCMに出ている人、交通事故の責任とれってなんでもありですからね。


確かに、原発の安全性がどうだったか、危機予測が正確にできていたかは問われるところですがね。宣伝していたことやましてやその代弁者として起用されていたタレントが悪いって責任をとらされちゃまずいですよ。気持ち悪いですよ。


あきらかにですよ。詐欺商法やあやしい宗教の広告塔になるタレントとは話を分けて考えないとだめですよ。もちろん、さまざまなリスクを考えて、CM出演する内容を吟味している著名人がいることも知っていますけどね。限界がありますよね。


社会の基盤として電力を供給する仕事。それってすごい社会貢献でしょ。電力会社の人たちはプライドをもってやってきたと思うんですよ。原発がいいとか悪いとかいう話は別でね。勝間さんが「宣伝責任」で謝ったらその人たちはどうなんですかね。みんな謝らないといけないじゃないですか。その人たちの子供はどうなんですかね。


ぼくはね。この原発の件を見ていて社会貢献について考えさせられるわけですよ。今まで正しいと思われてきたことなんてあっという間に社会悪になってしうじゃないですか。リーマンショックしかり、トヨタバッシングしかりですよね。金融や車っていう大切なインフラを作っていたはずなのに、ある時点を境に存在価値が否定されていく。


みんなも気をつけたほうがいいと思いますよ。自分は正義の味方のような顔をしてませんかね。ぼくらの作り上げている社会なんてそんなものですよね。モノ見方がかわれば善悪なんてぱっと変わってしまうわけですよ。そう思うからよけいに「宣伝責任」を持ち出して謝った勝間さんに違和感を感じますし。それを「良く言った」なんて賞賛している人もどうかなと思いますよ。


「それをいっちゃあお仕舞いよ」のとらさんの気分ですよ。


勝間さんの謝るポイントは別なところにありますよね。たとえば朝ナマの「地震原発の死者数との差と報道の大きさの差に違和感を感じる」というような発言。それは今回の死者に対する弔いを欠くとか、死者数を視聴率のように数量的に捕らえる感覚とか、あるいはマスコミの関心が起きてしまった地震よりこれから危機的なことが起こるかもしれない原発に向くことは当たり前なのにその点を誤解していたとかね。


お詫びに提案をつけている点は、ぼくは好きではありませんが、そこは彼女ぽくて許しちゃいますよ。頭のいい人には社会をよくするために活躍してほしいですからねw