「察しろ」の美学と甘えの関係

「おすもうさんはちょんまげが結えなくなると引退なんだよ」って小学生のときに、近所のおじいさんから聞いてね。それ以来、毛の薄くなってきた関取のことが心配で心配で、取り組みなんてどうでもよくなっているぼくですよ。奥さん。


相撲の八百長問題、なんとなく終息しそうですね。ぼくはこれ見ていてああ日本社会のパターンだなって思いましたよ。どこがって言うとね。「みんな察しろ」ってことですよ。


たぶん、ぼくの想像ですけどね。金銭授受の賭博はともかく、星をみんなで回しあうなんてことは、多数の力士がやっていたと思いますし。そんなことみんなが知っていたんですよね。狭い世界ですもの。


で、今回、外部から証拠と共に糾弾されて、みんな困ったんだけど、
それっぽい人の名前を挙げて、その人たち事情を「察しろ」って伝えたわけですよ。名前の上がった人は、みんなやっていることなのにと思いながらも、退職金とか残る仲間のこと考えると仕方ないかなあと「察して」引退届けを出したわけですね。1人だけがんばっていた親方もいましたけどね。


国民もみんな「まだまだやっている人たくさんいるでしょ」と思いながらも、このままじゃ相撲そのものがなくなっちゃうかもしれないので、そろそろこのへんで、と事情を「察した」わけですね。


この「察する」ってぼくは日本人のすごくいいところだと思うんですよ。本当のことはちゃんと知っているんだけど、相手の気持ちや状況を理解して自分の方から相手にそっと合わせる。美学ですよね。


で、話が変わって、いま日本が放射性物質を含んだ汚水を海に流して国際社会から避難受けていますよね。流す前に「こういう状況だから、みなさんの大切な海に汚水を流しますけどけど、本当にごめんなさい」とか政府が声明だすべきじゃないですか。なのにそれをやらない。たぶん、これも想像ですけどね。日本政府はこういう状況なんだから「おまえらが察してれ」って思ってんだじゃないですかね。でもね。これって甘えですよね。


母親や先生が子供が行動する前に「察して」先回りしていろいろやっちゃうもんだから、子供が自発的に考えないなんてことも結構多いんじゃないですかね。甘えを助長させるようなね。菅さんの周りがそうかはわかりませんけどねw


ぼくはいろんなことを察することができるができる日本人でいたいと思いますが、甘えるのは嫌ですね。自戒もこめてね。