デマとウイキリークスと彼女の浮気

デマが飛んでますね。飛ぶのは野次ぐらいにして欲しいものです。なんてったって昨日はジャッキー・チェーンが死んじゃいましたからね。ぴんぴんしている本人に聞いたら「俺のデマはTwitterじゃなくて、せめて<チェーン>メールにしてくれ」って言ったそうです。って、奥さん、これもデマですよ。


デマが増えると、マスメディア派の皆さんは「ネットって怖いですね」といい、ネット派の皆さんは「情報リテラシーを高めましょう」って言いますけどね。デマに含まれる本質的な問題に触れている感じがしないんですよね。僕には。


たとえば、ウイキリークスのようなもの。あのジャーナリズムって内部通報されたネタの真偽を検証して、公開していますよね。今のところ間違った情報を流すと、ウイキリークスの信憑性が問われることになりかねないので、大マスコミを利用してしっかり検証してるようですけど。


でも、もしもですよ。今後、ウイキリークスのようなところから大量にネタ情報が流れてきたら、僕らは真実なのか嘘なのか見分けられますかね。無理ですよね。裏を取るわけにもいかなですし。みんなケネディー暗殺事件の○○犯人説ような話になってしまいませんかね。


つまり、ウイキリークス時代(誰でも情報提供できて、それが次々に公開される)って、デマなのかデマじゃないのかすらわからなくなってしまうような世界じゃないですかね。そんなところで「みなさん、情報リテラシーを高めましょう」なんていっても少しむなしいですよね。


ネット派のみなさんは、ネットってすごいものって思っているから、これの使い方をマスターすれば大丈夫って話になりがちですけど、僕はネットなんて単なるトンカチと思っているので、問われるのはその道具を使う人間の中じゃないですかねって強く思うわけです。


仮に、あなたの彼女が浮気した、あるいは浮気したかもしれないという状況になったとします。本当に浮気したかどうかわからないわけです。本人もゲロしない。そこでどうするかです。何もなかったように付き合えるのか。それとも別れるのか。


ウイキリークス時代はそれが真実なのかどうかということよりも、その情報に接した人が、「どうしたいのか」「どうすべきなのか」ということが問われているんじゃないかという気分なんです。


奥さん、難しいですよね。この話。そう、だから僕はメディア論より、人間に関することを一生懸命学ばないといけないと思うわけです。今夜は鶴見俊輔の「詩と自由 恋と革命」を読みながら、彼女の浮気を許せるかどうか考えるわけです。