広告を何んて呼ぶか会議

昨日、日比谷のプレスセンターにて「広告を何んて呼ぶか」というテーマで会議が開かれた。この会議の目的は、最近、テレビの視聴率の低下や新聞発行部数、雑誌発行部数の低下により、「広告」が広く告げられていないのに、いまだに「広告」と呼ばれているのは時代遅れではないか、という内閣諮問委員会の提案により開催された。

各メディアの代表者より、さまざまな意見が出され、熱い議論がかわされた。

まず壇上にたったテレビ業界の代表者は、視聴率がソーシャルゲームやネットTVなどに奪われていることを認めたうえで、それでもTV視聴者はまだまだ多いので、「広告」とはいえないまでも、「中告」もしくは「小告」くらいでなんとかならいかと提案した。

次に新聞業界の代表者は、ネットに完全なまでに購読者を奪われていることを認めたが、トイレの中の読者だけは、まだまだ新聞の方が上だ。なぜならみんなパソコンやスマートフォンに汚物がつくことを恐れていると主張した。そこで「便告」という予想外の提案がなされ、会場は一瞬どよめいた。

最後に壇上にたったネット業界の代表者は、ソーシャルネットの普及により、消費者の多様化はさらに進んでいる。企業が商品情報を広く伝える時代は終了し、これからは小さなコミュニティにより深く伝えなければならないと主張。そのため「深告」と呼ぶことを提案した。


議論は紛糾し、結論が出ないかと思われたとき、全てを納得させる提案が、なされた。


それは、「そもそも告げるという概念がおかしいのではないか。時代は消費者自身が欲しい情報を取りにいくようになっていないか」という考え方だった。


そしてついに「広告」に変わる新しい言葉が誕生した。
「自取」(じしゅ)という何のオチもない言葉だった。
(時間がないのにこんなくだらないこと書いている俺は何をやっているんだとと思った結果だった。)